3年目。

京都鉄道博物館
▲2月初旬の寒い日に行ってきました、京都鉄道博物館にて。


この2月で、結婚生活3年目に入りました。

以前にも書きましたが、学生時代の友人だった彼と、とあることがきっかけで30年ぶりに再会、その3ヶ月後に結婚。
これほど短期間での人生の転換は、それまでの人生になかったことです。

まるで、突然目の前に現れた先の見えない曲がり角を、後先考えずに勢いだけで「えいやっ!」と曲がってしまったような感じで始まった、結婚生活。
結婚してからいろいろと考えはじめてしまったため、心が体に追いつかない。

だから最初は、すべてに違和感があり、とてもしんどかったです。
中でも、名字の変更は、想像以上にダメージが大きかった。

50年間連れ添ってきた名字が、入籍日を境に変わる。
名字が変わるということは、半世紀付き合ってきた名前を改名するのと同じ事です。

それも含めて「結婚」という気持ちがあったので、名字の変更に抵抗はありませんでした。
しかし反面、「うれしい」という気持ちにはなれなかった。

何回、名前を書き間違えたか。
何回、旧姓を名乗ったか。

今思えば笑い話の範疇ですが、当時の私は、間違えるたびにイライラしてました。
今までとは違う自分のような気がして。

それに、最初は緊張していても、所詮は他人同士。一緒に暮らすうちに、お互い知らなかった長所・短所が明らかになってきます。
それらを受け入れつつ、意見をすり合わせつつ、新しい家庭を一から構築することは、エネルギーが必要です。

ましてや我々、自分や自分の家族の価値観を優先して生きてきました。
さらに、独身生活50年、「決して譲れない強固なこだわり」の塔を既に完成させているので、余計に大変。

若い人なら、慣れるのも早いだろうし、もっとしなやかに考えを切り替えられるのかもしれません。
でも私の場合は、生活全てに漂っていた違和感が薄れ、全てが体に馴染むまで、1年半ほどかかりました。

幸運だったのは、彼の家族が、本当に普通だったこと。
そして、普通の家族で育った彼もまた、普通の家族のあり方を身につけていたこと。

私が望む「普通の家族」とは、同じ話題で話ができて、同じ方向を見つめて歩んでいける家族。
私の両親があんな感じだったので、「普通の家族」が欲しいと、長年思っていたのです。

緊張でガチガチだった私を、彼と彼の両親は、自然に「家族の一員」として誘ってくれました。
迷ったり悩んだりした時も、「心配するな、なんとかなる」の言葉で、バックアップしてくれました。

私の両親が生きていたら、ここまで自然に彼の家族に入ることができなかったかもしれない。

結婚して、2年。
曲がり角のそばでジタバタしていたけれど、やっと本当の意味でのスタートラインに立てたような気がしています。


イライラしたり、気分が落ち込んだり、アップダウンの激しい日々が続きましたが、これが一種のマリッジブルーだったのかもしれません。
 


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奇跡。

8月6日放送の「NHKスペシャル」のタイトルは、「決断なき原爆投下〜米大統領 71年目の真実〜」
見応えある内容で、引き込まれるようにして見ていました。

実は、以前の記事「私にとっての8月」で登場する先生に担任していただいたクラスには、私のダンナ様も在籍していました。
つまり私たちは、中学2年の時のクラスメートでもあるのです。

今でも忘れることのできない印象的な先生でしたので、私たちはこういった番組に目が行きがち。

番組内では、原爆の投下場所の候補が複数あり、そのうちのひとつが京都であったことが紹介されていました。
候補場所決定の過程で変更にはなりましたが、アメリカ軍部は京都への投下に、最後までかなり執着していたらしい。

それを見て、ふと思ったのです。
もし京都に投下されていたら、私はこの世にいないのだと。

私の母方は、京都市内に住んでいました。
昭和20年当時、母は11才。疎開などはしていなかったはず。
家は伏見稲荷大社の近所だったと聞いているので、市内ど真ん中ではありませんが、それでも大きな被害を受けていたでしょう。

命があったとしても、母の運命は大きく変わったはずです。
父との出会いも、なかったと思います。

あの時代、生まれてくるはずだったのに、消えてしまった命が、たくさんあった。
続いていくはずだったのに、切れてしまった命の連鎖も、たくさんあった。
日本中に、世界中に。

でも今、私は、こうして生きている。

私たちは、たくさんの命を背負って生きている。生かされている。
命を積み重ねられることは、本当に奇跡的なこと。

そんなことを思う、今年の終戦記念日。

 

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言いようのない不安。

結婚し、新しい生活が始まって、あと数ヶ月で1年。
時々けんかもするけれど、おかげさまで、笑いの絶えない穏やかな日々を過ごすことが出来ています。

おはよう、おやすみ。
いってらっしゃい、いってきます。
ただいま、おかえり。

こんなことを言い合える日々が、いかに幸せなことか。

ただ、時々ですが、言いようのない悲しみやさびしさ、不安みたいなものに、体が締め付けられそうになります。

どんな家庭でも、山あり谷あり。私の両親同様に、彼のご両親も、長い人生の中、いろいろな困難や諍いがあったと思います。
でも私の両親と違うのは、山や谷を「家族一緒に」乗り越えようと努力してこられただろうということ。

ご両親は、過去のことは、特に何もおっしゃいません。あくまで、私の推測ですが、なんとなく感覚でわかります。

周りに簡単に流されないけれど、他人の意見に耳を傾ける柔軟性があり、何よりも「今」を大切に、楽しく朗らかに、夫婦仲良く過ごす姿勢は、私の両親にはなかったもの。

見ていて、とてもうらやましい。だけど、とても悲しくなります。
特に、彼と彼の両親3人が語り合っているのを見ると、親子3人が別々の方向を向いて暮らしてた我が家のことを思い出してしまい、猛烈な寂しさを感じます。

ちょっと穏やかな日々が続くなと安心した頃、何か必ず悪いことが起こる。
十代の頃、そんなことが何度も繰り返されたこともあり、「幸せな日々は、いつか必ず終わってしまう」という考えが染みついていて、なかなか安心できない。

これまでに、たくさんの悲しみやさびしさはあったけれど、それは全て過去のこと。これからしあわせを築いていけばよいこと。
でも、「過去は過去」と、簡単には割り切れない。

結婚したことで、これから新たに、たくさんの別れと立ち会わなければならない。
もうこれ以上、身近な人を見送りたくないと思っていたのに。

彼は、とても前向きで、朗らかな人です。
どんなにしんどい環境でも、何か楽しみを見つけて、明るく乗り越えようと努力できる人です。

私が漠然と抱く悲しみやさびしさや不安は、そんな彼には決して理解できない。
それは当たり前のことですし、ふたりで落ち込んでいたら、どうしようもないのですけれどね。

自分でもバカだなって思います。ちょっと病的じゃないかとも思います。
もっと素直に、「今は幸せだなー」って感じていればいいのに。
もっと前向きに、様々な出会いに感謝すればいいのに。

私は、家庭・家族の喪失感は、家庭・家族でしか埋められないと、漠然と思っています。

ということは、今の幸せな生活を積み重ねていくことで、私の言いようのない不安感は、いつか払拭されるのでしょうか。
新たな出会いや別れも、すべて自然に受け止めることができるのでしょうか。

特に若い頃、あきらめることで、自分を何とか保っていた私。
彼に「あきらめることを、少しでも減らしていこう」って言われている私には、きっとまだまだ時間が必要なのでしょうね。




ネガティブな私を、ダンナさんが日々引っ張り上げてくれてます。すみません。


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感謝の日。

振り返ってみると、私にとっての11月は、たくさんの波乱がある月。

父がくも膜下出血で倒れたのも、父にガンが発覚したのも、今住んでいるマンションの購入を決断したのも、全て11月でした。

そして、去年の11月。
人生のパートナーとなる彼と、約30年ぶりに偶然再会。

あれから、1年。

今日、またひとつ、年を重ねました。

ひとり暮らしの日々が終わり、誕生日を祝ってくれる家族が再びできる日がやってくるなんて、去年の11月には想像もしていませんでした。

去年の誕生日に、「人生としては、今日が成人式」と書きましたが、その第一歩が結婚。
人生の不思議さを、しみじみ感じる、今日のこの日。

ダンナさんからは、「今日は、産んでくれたお母さんに感謝する日やで」と言われてます。

へっぽこながらも、これまで無事に生きてこれました。
これから始まる51歳の1年も、マイペースで歩んでいきたいと思っています。

いつもお世話になっている皆さん、本当にありがとう。




穏やかな1年になるといいな。



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20年。

20年前。

新しい会社に転職して、2年目を迎えてました。
母が亡くなって1年。一周忌のちょうど1週間後でした。

戸建ての2階で、ひとりで寝てました。
築40年近く経過した、ボロ家でした。

神戸市内に住んでいた親戚は、ふたり。
ふたりとも伴侶を既に亡くし、1人暮らしでした。

被害の大きかった神戸市須磨区に住んでいた叔母。
家は残りましたが、かなり建て付けが悪くなり、床はミシミシと音を立てていました。
それでも、飄々としてました。数日間電話が不通だったのに、「なんで電話くれへんかった」と、叱られました。

あれから6年後、彼女はガンで亡くなりました。

神戸市北区に住んでいた伯母。
神戸市内から少し離れており、それほど大きな被害はなかったようでした。
交通機関がマヒし、長く動かない路線もある中、須磨に住んでいた叔母の元に通い、あれこれ面倒を見てくれていました。

数年前、彼女は神戸を離れ、従姉妹夫婦の元で暮らしています。傘寿を迎え、ますます元気です。

兵庫県宝塚市に住んでいた、当時勤務していた会社の上司。
新築マンションを購入し、大阪市内から転居してから、1年も経っていなかったはずです。

ライフラインの復旧に時間がかかり、カセットコンロ用のガスを買い集めていました。彼のロッカーには、様々なつてを頼って入手したそれが、たくさん入ってました。

その数年後に、この上司の人間性を疑う事件が起ころうとは。
それがきっかけで会社をやめ、ひとりで仕事を始めることになろうとは。

兵庫県内にご主人と二人で暮らしていた、友人。

彼女に誘われ、自転車で二人乗りして、阪神高速道路の崩壊現場を見に行きました。
あんな大きな物が、あっけなく崩れてしまっている事実に、言葉も出ませんでした。

彼女は現在、家族4人。仕事に子育てに、ハッスル中。

20年という月日の長さ、そして、重み。
あの年に生まれた子が、成人を迎えるのです。

あの日、あの時に感じた、怖さ、驚き、悲しみ、さびしさ、とまどい、迷い。
そして今、自分の命がある奇跡。

それは生涯、忘れないと思います。忘れてはいけないと思います。

**過去記事**
>>あの日から15年
>>あの日の空
>>命の連鎖
>>忘れないために。
>>思いをはせる。




あの震災から2ヶ月後に、地下鉄サリン事件発生。ほんとに悲しい年でしたよね。



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母のきょうだいたち

今日1月10日は、母の祥月命日です。
亡くなったのは、平成6年。21年経ちました。

母方の祖母が元旦、私の父が6日、母が10日と、1月は3人の命日が立て続けにやってくるので、ついいろいろと振り返っちゃいます。

母が亡くなった年は、葬儀が多かった。
夏の初めに、母方の親戚がふたり、立て続けに亡くなったのですが、葬儀の間隔が1週間しか空いてませんでした。
当時の会社の上司に欠勤を申し出た時、「え、また?」って言われたことを思い出します。

母は、7人きょうだい。上3人が男、下4人が女。母は、下から2番目です。
母が亡くなった当時、一番上の伯父は既に亡くなっていましたが、それ以外の人たちは、みんなまだ元気でした。

それが今は、血縁関係のある三親等の親族は、母の妹である叔母だけです

きょうだいとは言っても、所詮は人間同士。さらに、母のきょうだい内には「派閥」みたいなものがあり、争いごとや問題ごとの発生、意見の対立は、しょっちゅうでした。
我が家も、伯父の借金問題に巻き込まれ、修羅場がありました。

きょうだいの中で、親族間の様々な情報をたくさんつかんでいたのが、母だと思います。問題を解決すべくいち早く行動するのも、母でした。
ただ、母の欠点は生真面目すぎること。さらに、自分の思い通りの展開がベストだと、信じて疑わないこと。
まあとにかく、よく怒ってました。文句も言ってました。

そういうのを幼い頃から間近で見聞きしていたので、「きょうだいがいなくて良かった」って思ったこともありましたね。

時は流れました。

あの世に渡っていった母のきょうだいたちは、この世と変わらず派閥を作り、今日もあれこれ言い争っているのかな、などと思います。




そして、その場を仕切っているのは、間違いなく私の母(苦笑)。



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ナルシストは個性的とは限らない。

先日、美容院に行った時のこと。
パーマ液浸透時間中、「男性用ヘアカタログ」というのを発見。ページをぱらぱらめくっていました。

今時の若い男性は、本当におしゃれになりました。
私の若い時は、男性用ファッション誌とかは皆無。少数派だった「おしゃれに目覚めた男性」を見るたび、違和感を抱いていたものです。
10代の私は、割と堅物だったんです。

化粧したジュリーがテレビにがんがん出てた頃は、目のやり場に困りました。
忌野清志郎と坂本龍一の「い・け・な・いルージュマジック」など、見るのもためらわれた。



今見たら、「かっこいいなあ」ってしみじみ思うけど。

閑話休題。

ヘアカタログの中には、様々なヘアスタイルの素人男性の皆様方が、それぞれの決め顔で、ずらりと並んでました。
あー、若いっていいなあ、などと、すっかり母目線でページをめくっていると、私の目からは、奇妙きてれつに見えるヘアスタイルが、時々出てきます。

またそれが、本人に似合ってないんだわ。

何だかおかしくってくすくす笑っていると、店長さんが「どうしました?」って声を掛けてきました。
それをきっかけに、お店にやってくる「おしゃれ男子」の話になりました。

店長さんが30代男性なので、お店にはよく若い男性のお客さんも来られるようです。
でも中には、自分の世界にどっぶりつかりすぎている子もいるようで。

「店の前に自転車をとめたのが見えたのに、なかなか店に入ってこないなって思って、ふっと見たら、自転車のミラーで髪の毛、整えてるんですわ」
「美容院に来てるのに?」
「そう」
「自転車置き場からお店まで、数歩やのに?」
「そうですわ」

ふたりで爆笑。

「カットしてても、こういう子らは、手に負えんのです」
「なんで?」
「こっちはじっとしていてほしいのに、しょっちゅう顔を動かすんです。出来具合を、いちいち確認する」
「あらー」
「カット中やから、危なくって仕方ない」

扱いに困りそうなお客さんですが、「意外と扱いは簡単」とのこと。

不思議なことに、こういう「極度に見た目にこだわる」人たちには、【出来具合が気になって仕方がない割に、「こうして欲しい」という明確な希望を持っていない】という共通点があるんだそう。
店長さんの話の持って行き方がうまいんでしょうが、できあがりの確認時に満足した彼ら、自分の世界にどんどん入っちゃうんだそうです。

「鏡であちこちチェックして『イメチェンできたー』って喜んでますわ。『実はそれほど変わってないで』って、言いたいんですけど」
「それ言うたら、あかんわね」

再度爆笑。

「でも、こういう話を聞くと、そういう子って個性的なようで、案外そうでもないのかもしれへんね」
「そうですね。美容院に来るような男の子って、基本、ナルシストですけど」
「はあ」
「ナルシスト=個性的、ではないと思います」
「意外と保守的?」
「そうですね」

あまりにも見た目にこだわるあまり、自分の世界を狭めてしまって、個性を出し切れていない。結果、他人から見ると個性が抜け落ちちゃっていて、普通の保守的な子にしか見えない。
でも本人は、そのことに気付いてない。

20代くらいまでは、若さという武器で何とか乗り越えられるだろうけど、それまでの人生の積み重ねが、顔や態度ににじみ出てくる30代以降は、本人の気づきがなければ、生きていくのが大変だろうな。
だけど、多少の自己愛がなければ、やはり生きていくのは大変。

ナルシスト具合の塩梅って、難しいなあ。

店長さんと話をしながら、そんなことをふと思ったのでした。




でも極度のナルシストって、当の本人は結構しあわせなんでしょうね。



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半世紀

50年前、私が産まれた日。

父はその日給料日で、いつものように給料袋を開封して(当時は給料は手渡しでした)酒を飲み、ふーらふらと帰宅。
帰宅途中で、母方の祖母(父からすれば義母)にばったり会った父、祖母から一喝されたそうです。

「あんた、何してんの。子供が産まれたんやで。早う、病院に行きなさい」
(注:私が誕生したのは、夜10時頃です)

実母よりも義母のことが好きだったらしい父でしたが、「あの時はむちゃくちゃ怖かった」と、生前の父は何度も言ってました。

40年前。私は小学5年生。
当時は子供があふれかえっていて、校舎が足りず、学校がどんどん新設されていました。
私もその年の4月から校区が変わり、新設の小学校に通うことになりました。

環境が変わったことが良かったのでしょうか、それまで陰気くさくて、クラスでもそれほどしゃべらなかった私が、明るく笑ってしゃべるようになれました。
それは、自分でもびっくりするくらいの変化でした。

30年前。父がくも膜下出血で倒れました。
20歳の誕生日の前日、母の代わりに父を病院に連れて行きました。診察室にひとりで入っていく父を見送ったのが、父が自力で歩く姿を見た最後でした。

その後はあれこれ大騒ぎになり、20歳の誕生日は、どっかに吹っ飛びました。

20年前。母が亡くなりました。

10年前。当ブログ「ひーのためごと」をスタート。

そして今日、私は50歳になりました。

だけど、これまでにも何度も書きましたが、私が本当に地に足を付けて歩き出しのは、母が亡くなってからじゃないかなと、ずっと思っています。

**過去記事**
>>栗の薄皮

母が亡くなるまでは、基本的に母の言うことが絶対だったので、母の価値観が私のすべてでした。

しかし母が亡くなり、父のことも含め、自分で決断しなければならないことが増えたこともあり、それまでの自分を振り返ることが増えました。
「うちの家って、両親って、もしかして変だった?」と、客観的に見ることができるようになったのも、30代以降。

そうそう、背任・横領事件に巻き込まれたのも、家の建て替えをしたのも、30代でしたね。あ、車の免許も取ったっけ。

40代に入ると、家の売却と引っ越し、さらに父の看取り。必死に走りました。
それが終わった後、ぐだぐだの更年期。

年齢は50代に突入し、しわも白髪も増え、すっかりおばちゃんになってしまったけれど、人生としては、今日が成人式。
図々しいですが、今はそんな気分です。

今日まで無事に生きてこれました。
お世話になっている皆さん、本当にありがとう。

ペットボトル




40代は、風のように過ぎ去った感じがします。
 

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母とタマと私。

JUGEMテーマ:youtube 動画紹介


外に出たい人間と猫が結託する図。
しかし、脱走を警戒する彼らの親によって、網戸はロックされているのであった。



このかわいい動画を見て、似たような写真があったなあと思いだし、押し入れから引っ張り出しました。
かれこれ半世紀前の私と、当時飼ってたネコ。名前は、タマ。

タマと私

このタマ、赤ちゃんだった私のそばで、よく一緒に過ごしていたらしいです。
おとなしくて、とてもかしこくていい子だったって、母が言ってました。

私が3才くらいの時に、両親が新築一戸建てを購入して引っ越したのですが、その家にはタマはいなかった。
母からは「自分から出て行った」と聞いてました。ずーっとそう思っていました。

亡くなる少し前の母は、言葉にならないうわごとを繰り返していたのですが、一度だけタマの名前を呼びました。
タマに何を話しかけているのかは、はっきりわからなかったのですが、何だか謝っていたような感じがしました。

母が亡くなった後、父とタマの話になった時、「タマは、引っ越す時に置き去りにした」と言ってました。
親戚の誰かから「死んだ」という話も聞いたような気がします。

真相はわかりませんが、引っ越し時に、何らかの形でタマと別れてしまったことだけは確か。

遠い昔、いったい何があったのか。
両親、特にタマをかわいがっていたらしい母は、どういう気持ちだったんだろう。

よその家のネコを見ると、そんなことを、ふと思うことがあります。
真実を確かめる術もないのに。




母とタマは、あの世でちゃんと会えたかな。



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いろどり

JUGEMテーマ:四十路のつぶやき


寒くなってきましたね。

スーパーなどでミカンを見るたびに、「腐ったミカンの方程式」を、つい思い出してしまう。
強い風で木々がざわざわすると、「トトロが遊んでる」「猫バス通過中」などと、つい思ってしまう。

こんな記憶、生きていくうえで、ちっとも役立たない。
でも、これらの記憶は、私の人生のいろどりの一部として息づいているような気がします。

たとえて言うなら、料理の端っこにちんまり飾られている、鮮やかな色の葉っぱや木の実たち。
たとえ口には入れなくても、ちょっとした感動を与えてくれる存在。

いろどりなんて、所詮無意味なものかもしれない。
でも、人それぞれがまとう「いろどり」は、本人だけでなく、他人の人生すら変える、大きな力になる時があるような気がします。

「誰かの役に立ちたい」という思いを抱くことが、私にも時々ありますが、そんな大それたものではなく、「誰かのいろどりの一部になれたらいいな」って、風の強い日の散歩中に、ふと思いました。




「誰かの役に立ちたい」と思うよりも、難しいかなあ。




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