1月10日は、私の母の祥月命日である。早いもので、13回忌である。
正月早々ということもあり、昨年12月にお寺さんに来てもらい、法要を勤めてもらった。
ちょっと悩んだのだが、父にも参列してもらうことにした。

昨年70歳になった父は、車いす生活20年以上の、口の達者な障害者である。
大人になった瞬間がないのではないかと思えるほど、わがままな人である。
「地球は自分のために回っている」と豪語する人である。
落ち着きが全くなく、目を離すとすぐどこかに行ってしまう。それをとがめると、「あほ、ぼけ、かす」と怒鳴り出す。
人の言うことなど全く聞かず、自分の話したいことだけしゃべり続ける。
脳みそが口元にあり、何の脈絡もなく、後先のことなど全く考えず、思ったことを口に出す。

実は、母が亡くなったことを、私はずいぶん長い間、父に告白できずにいた。母は病気で、ずっと入院していると言い続けていた。
母が入院したことを初めて知ったとき、父はかなりのショックを受け、体調が悪くなったのだ。そんなこともあり、どうしても勇気がわかなかった。
老健施設に移動する前にお世話になった病院のケースワーカーさんの手助けで、父に本当のことを伝えることができたのは、母の死から8年後のことだった。

母が亡くなった時、父は病院にいた。
それまでも母は父のことで、苦労に苦労を重ねていた。父がやんちゃをするたびに、その尻ぬぐいをするのは母だった。
父を家に連れ帰ると、心の安まる暇がなくなる。そう判断した母は、父に里心をつけないために、家に連れ帰ろうとはしなかった。母の死後、私もそれを踏襲していた。
そんなわけで父は、半年から1年ごとに様々な病院を転々としていた。新しい場所になじんだ頃に、移動という月日であった。
その後、老健施設での生活を経て、現在は老人マンション的な施設でお世話になっている。

現在の場所での生活も2年を超え、父もすっかり生活のリズムをつかみ、落ち着いてきた。
移動の日々が続いていたこともあり、私は母の葬儀や法要に父を呼んだことはなかった。年月が経ち、やっとチャンスが来たと思えたのだ。

施設の方に家までの送り迎えをお願いし、父を迎える段取りを整えた。
父を家の中に招き入れるのは、20数年ぶりのこと。7年ほど前に家を建て替えたのだが、それからはもちろん初めてのことである。

父は部屋の中をきょろきょろ見回し、とにかく落ち着きがない。到着が少し遅れたので、もう既に読経が始まっていたが、そんなことは気にせず、自分のしゃべりたいことをでかい声でしゃべる。その口を止めるのに、一苦労である。

ちっちゃい子供が訳もわからず騒ぐのと、同レベルである。

法要と法話が無事終了しても、父は御前さんにしゃべり続ける。御前さんは、うちの法要のあとも予定が入っている。だが、そんなことを気にする父ではない。
やっとのことで外に出た御前さんは、ひとこと。

「ようしゃべるお父さんですね〜」。

父を送ってきてくれたスタッフ(男性)は、法要の間、車の中で待っていてくれた。その彼を呼び、3人で寿司を食べた。
父は間断なくしゃべり続けるが、もうたいがい聞き飽きたことばかりである。

大型トレーラーの運転手をしていた時代、配送のために工場に入ると、落ちている鉄くずやダンボール(当時は高く売れたそうである)を勝手に持ち出し、売り飛ばして酒代にしたこと。
重量制限など気にせず、木造の橋を渡り、その橋を壊してしまったこと。
飲酒運転をしていてパトカーに追いかけられ、職務質問をしようとした警官をどつき、公務執行妨害で現行犯逮捕されたこと。
その昔、ヒロポンを常習していたこと。
引っ越しの荷物を運び、作業が終了すると、進められるまま酒を飲み、大騒ぎしてから帰途についたこと。(その途中で、おみやげに持たせて貰った酒を飲んでいたらしい)。
アルコール中毒症で入院中も、病院を抜け出して酒を飲んでいたこと。

父の話の大半は、ほとんどが犯罪まがいの突拍子もないことばかりである。
でも父は、それを隠そうとしない。むしろ、どの人にもうれしそうに話している。
父の介護に少しでも携わったスタッフはすべて、この「機関銃トーク」の洗礼を受けている。

若い頃から無茶をしたせいで、50歳になる前に倒れてしまったというのに、何も後悔していない。
「あの頃は楽しかった」と、きっぱりと言い切る。
今のような体になったのは、運が悪いからだと言っている。
まじめに仕事をしていたのに、なんでこんなになってしまったのだと言っている。

鉄くずやダンボールを拾ったのは、「落ちとったからやんけ」と言う。
警察官を殴ったのは、「偉そうに言いよるからやんけ」と言う。
橋が壊れたのは、「橋がぼろいからやんけ」と言う。
ヒロポンは「薬局で売っとったし、みんながやっとったからやんけ」と言う。

絶対に自分が悪いとは言わない。
どんな時でも、自分を正当化する。

そんな父を見ていると、私はなぜこの父の子供として生まれてきたのだろうと思う。
父が母と一緒にならなければ、母の兄(私の叔父)が父に母を紹介しなければ、父が前の嫁さんに逃げられていなければ、私はこの世にいなかった。

私がここにいるということ。
父がここにいるということ。
母が既に亡いということ。

すべてが、偶然である。たくさんの偶然が重ならなければ、私はここにいない。
そして、偶然から始まったことが、必然となっている。

私は一生、この突拍子もない父の子供であり続けなければならない。
その運命には、決して抗えない。
どうして、私だったのか。私でなければならなかったのか。
私でなければいけないのか。

私でなければいけないのなら、私にしかできないことがあるのだろう。
それは父に対してだけでなく、私に関わりのある人すべてに同じ事が言えるのだろう。
私が今ここにいるということは、そういうことなのだろう。

母は死んで、父は生きて、私にそのことを教えてくれているのかもしれない。



  • 2020.07.22 Wednesday
  • -
  • 19:22
  • -
  • -
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Comment
なかなか、最後は奥の深いお話になりましたね。
どうして、何のために我々はこの世に生をうけているんでしょうね。
偶然それとも必然。そのどちらでもないのでしょうか。
でも、そんなこととは関係なく生きているという事実。
もう寝ましょうか。
  • やっとこ
  • 2006/01/08 20:53
考えれば考えるほど、謎です。
きっと死ぬまで、謎であり続けるのでしょうね。
でもそれでいいのかもしれない。
・・・久々にまともなことを書いたら、知恵熱が出そう。

  • ひー@管理人
  • 2006/01/09 20:48





   
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