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  • 2018.10.29 Monday
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20年前。

新しい会社に転職して、2年目を迎えてました。
母が亡くなって1年。一周忌のちょうど1週間後でした。

戸建ての2階で、ひとりで寝てました。
築40年近く経過した、ボロ家でした。

神戸市内に住んでいた親戚は、ふたり。
ふたりとも伴侶を既に亡くし、1人暮らしでした。

被害の大きかった神戸市須磨区に住んでいた叔母。
家は残りましたが、かなり建て付けが悪くなり、床はミシミシと音を立てていました。
それでも、飄々としてました。数日間電話が不通だったのに、「なんで電話くれへんかった」と、叱られました。

あれから6年後、彼女はガンで亡くなりました。

神戸市北区に住んでいた伯母。
神戸市内から少し離れており、それほど大きな被害はなかったようでした。
交通機関がマヒし、長く動かない路線もある中、須磨に住んでいた叔母の元に通い、あれこれ面倒を見てくれていました。

数年前、彼女は神戸を離れ、従姉妹夫婦の元で暮らしています。傘寿を迎え、ますます元気です。

兵庫県宝塚市に住んでいた、当時勤務していた会社の上司。
新築マンションを購入し、大阪市内から転居してから、1年も経っていなかったはずです。

ライフラインの復旧に時間がかかり、カセットコンロ用のガスを買い集めていました。彼のロッカーには、様々なつてを頼って入手したそれが、たくさん入ってました。

その数年後に、この上司の人間性を疑う事件が起ころうとは。
それがきっかけで会社をやめ、ひとりで仕事を始めることになろうとは。

兵庫県内にご主人と二人で暮らしていた、友人。

彼女に誘われ、自転車で二人乗りして、阪神高速道路の崩壊現場を見に行きました。
あんな大きな物が、あっけなく崩れてしまっている事実に、言葉も出ませんでした。

彼女は現在、家族4人。仕事に子育てに、ハッスル中。

20年という月日の長さ、そして、重み。
あの年に生まれた子が、成人を迎えるのです。

あの日、あの時に感じた、怖さ、驚き、悲しみ、さびしさ、とまどい、迷い。
そして今、自分の命がある奇跡。

それは生涯、忘れないと思います。忘れてはいけないと思います。

**過去記事**
>>あの日から15年
>>あの日の空
>>命の連鎖
>>忘れないために。
>>思いをはせる。




あの震災から2ヶ月後に、地下鉄サリン事件発生。ほんとに悲しい年でしたよね。



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  • 2018.10.29 Monday
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  • 07:38
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 「自分のところが一番大変だった」というつもりは有りません。
 日本全国どこの地域も、
 みんなそれぞれに
 何らかの被害を受けています。
 

 私の場合は。
芦屋市の国道2号線芦屋川を西へ約100m、
阪神高速道路の倒壊現場の真北600m。
前田町と言うところの築50年以上経つ、古い古い平屋に住んでいました。
 
大屋根も落下し、土まみれになって天井と瓦を破って、
裸足で寝間着のまま家前の狭い路地に這い出て出て初めて、自分のボロ家だけでない事を認識したのでした。
家並みで見えない筈の現在のJR甲南山手近くのビルが遠くに見えていたのです。
(当時、まだ駅はありませんでした。)
どうやらこれは、地震らしい。
 
西へ道一つ隔てたところのパン屋さんから黒煙が上がり、「ダメかも」と思いながら、素手で家族を掘り出しました。
風向きが反対だったら、平屋でなかったら、ほぼ確実に「ダメ」でした。 
斜めお向かいの2階建てのお家は全員・・・。
 
−−−
 
至近の避難場所の芦屋市体育館は、建物外観は現在もほぼ当時のままですが、
内部は天井が落ちて、避難所として機能しませんでした。
そこは、国道43号線の上を走る阪神高速道路の崩壊現場の真北250mだったのです。
 
当時まだ有った公衆電話には、ただただ黙って素足で毛布にくるまったりした人たちが
文字通り長蛇の列でした。 アナログ携帯電話さえが未だ珍しい贅沢品だった頃ですから。
 

私には、それに並んで電話をかけるお金も有りませんでした。
 

−−− 

 一番の記憶
 一番恐ろしかった記憶は、「異様な光景であるのに、全く音がしていなかった事」です。
 
 日が昇っても、ししらしーん、とした静寂。
 
救急車や消防車のサイレンさえ、鳴っていませんでした。
そんなのは、昼をかなり過ぎてから後の事だったはずです。


 
 怖かったですねぇ、恐ろしかったですねぇ。(ここ、淀川長治さん風)

 
−−−
  
家が傾いた程度かそれよりマシだった人たちは、電気もガスも水道も無いからとて、
夕刻には東へ移動を始めたようです。
どこかの誰かが、電池式のラジオを持っていたか
誰かのおうちの、電気が無くても電話局と繋がってさえいれば当時はまだ現役だった局給電で使える黒電話が
やっと通じて得た情報が
口コミで広がったのでしょう。 携帯が珍しい贅沢品だった頃です。
  
 芦屋のいわゆる「高級住宅街」の程度が上がる地域ほど被害はマシで、
 電気・ガス・水道がせいぜい1ヶ月止まっただけだったそうです。
 格差が、より広がりました。
 
 
私がお風呂に入れたのは、2月中ごろでしたでしょうか。 洗濯も。
東へ歩き、武庫川を渡ると、なんとパチンコ屋が営業をしていました。
ショック。 
 

実父は、震災から3ヶ月間もちましたが亡くなりました。
葬式も出来ませんでした。 
すぐに充分な治療をしてやれていたら、今年(2015年)の米寿まで
生きながらえていたかも知れません。
 
  
その後、2009年までに
妻、実母、義父を見送っています。

荷物も、盗られたり雨で濡れたり、住まいの都合で持って行けなかったり。
物心ともに『喪失の20年』
そして、つい先日まで
『断捨離の連続』でした。
 
本当に必要な物を、本当に必要な時に、本当に必要なだけ、買う。
やっと、こう思えるようになったのは、ごく最近の事です。
  
  
当時4歳だった娘は今24歳。
 
父娘二人だけの家庭ではありましたが、
一人前の女性になってくれました。 
もうそろそろ、一人暮らしして、相手捕まえて身を固めろよ!。w
 
−−−
 
 あと、
嫌な嫌な嫌な記憶が
マスコミや見物人ですねぇ。(ここ、淀川長治さん風)
 
写真や動画を撮ろうと、悲惨な姿の知人や友人にカメラを向けるな!。
 
崩れた我が家やビル、建物、構造物、にカメラを向けるな!。
 
野次馬気分で見物に来るな!!。
 
 
これらは、今では銀塩からデジタルに移行し、個人化し、
一層拍車がかかっています。
鉄道駅での人身事故現場に群がって写メる人たちも居ます。
 
 
言い表しようの無い、情けなさと、怒りと、恥ずかしさ。
しかし
そのおかげで、語る以上に伝えられるモノも有る事も確かで、
非常に複雑な心境です。
 
        ・・・   
実際、 『目は口よりも物を言い』 ですから。
  
 
   
・関東大震災
・戦災の空襲
・兵庫県南部地
  
 
   
・関東大震災
・戦災の空襲
・兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
 なんと、
三つとも経験したお爺さんに、
崩壊して、むき出しになった木造家屋の前でインタビュー。
悲惨さの演出は無理だったインタビューが放映されたかどうか
私は知らないのですが、
以下のような感じでした。
 
 
アナ「大変でしょう、水や食物が無くて」
おじやん「前の二つと違うて、こうして、おにぎりが手に出来るし井戸もある」(小爆発)
 
アナ「大変でしょう、電気が無くて」
おじやん「夜が明けたら寝て、暗ろうなったら、寝たよろし」(中爆発)
 
アナ「大変でしょう、ガスもないし寒いから」
おじやん「燃やすもん、周りになんぼでもおますがな」(大爆発)
 
 
 全壊ではあったが
かろうじて、命を省りみない行為で中に入ろうと思えば入れた木造家屋が
取材ヘリの超低空飛行で、へしゃげてしまった事など
信じられますか。
 
−−− 
 
 2015年1月17日 16:00 現在
Yahoo! JAPAN のトップページ背景は
私も現実に目の前にした、阪神高速道路の倒壊現場写真です。
本当は、見たくない。
 
思い出してしまいました。
これが、フラッシュバックか?。
そうなのか?。
 
 紆余曲折の後、今は同じ市内で体験現場から離れた離れた離れた場所に住んでいます。
 その生家跡は4年後に区画整理され更地になり、立派な「洋服の青山」が、建っています。
 
−−−  
 

 
 それでは、
 ひーさん。
 また書き込みさせてください。
 サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
 

                                           .
本当に毎年この日は感慨深いです。
幸い私のところは屋根瓦が落ちてしまったくらいの
被害でした。
雨漏りするのでビニールシートを近所の
とび職のお兄さんにかけてもらいました。
屋根の青いビニールシート、当時の風物詩でしたね。
生きているからこそ、今こうしてひーさまの
ブログにくだらないコメントも書いていられるんだとありがたく思います。
  • ももいろペリカン
  • 2015/01/18 05:29
>>作務衣2号さん
大切で、心に響くお話、本当にありがとうございました。
重い重いエピソード、心に刻みます。忘れないでいたいと思います。

>>ももいろペリカンさん
青いビニールシート、そうでしたね。
電車で兵庫に向かうと、どんどん増えてくるのが印象的で、とても悲しかった。
でも、生きてこそ、です。本当に、今、命があることがありがたいです。





   
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