JUGEMテーマ:今日のこと

Oさんと初めてお会いしたのは、2003年秋。
当時私がフリーペーパーに出していた広告をご覧になり、お電話をいただいたのがきっかけで、駅前の喫茶店で待ち合わせして、お話をお聞きした。

依頼内容は、とある旧制高校野球部の同窓会の会報誌作り。
それまでは立派な冊子を作られていたのだが、いかんせん毎年会員が減少する運命の会。冊子発行は終了したのだが、会員の消息や近況を知らせるための会報誌を年に1度作ることになり、作成から発送までを手伝ってほしいとおっしゃる。

一も二もなくお引き受けして、Oさんとのご縁がスタートした。

Oさんの中にあった会報誌のイメージを元に、会員の皆さんから送られて来る近況報告や寄稿文、定期的に開かれる同窓会のレポートや写真などを掲載、細かい所はOさんと相談しながら、一からワードで会報誌を作り上げていった。

何しろ会員メンバーは、大正〜昭和初期にお生まれの方ばかり。当時70代後半だったOさんやその同期生の皆さんが、いわゆる「ぱしり」レベルという、超高齢グループ。
字は大きくすること。そして先輩は絶対的な存在なので、お名前の掲載順を間違えないことが基本。

最初の頃は、会員の皆さんの達筆すぎる字が読めず、往生した。中にはOさんですら読めない字も多数あり、ふたりで首をひねったこともある。
今ではほとんど使われていない言葉もちりばめられ、辞書を引いたり、Oさんに教えていただいたりしたものだ。

苦労しながらも第1号が完成、人数分印刷してホッチキスで簡易製本、会員さんのご自宅に郵送して、一連の作業が完了。
ものすごい達成感を味わえた。

それから毎年、秋になるとOさんからお電話をいただくようになった。

2年目からは、Oさんの勤務先へ伺って打合せし、資料を受け取るようになった。
70代後半にもかかわらず、超有名企業に席を持ってお仕事をされていたOさん。現役時代の功績がいかにすごかったかがしのばれる。

手順が確立し、要領がわかってきた3年目くらいからは、私も会員の方々の達筆すぎる字にも慣れ、寄稿文を楽しむ余裕が出てきた。またOさんも、かなりの部分を私にお任せ下さるようになり、いろいろなお話を聞かせて下さるようにもなった。

会報誌に登場する名物会員の話や、戦中戦後の若い頃の話が多かったけれど、学校では習わないような興味深い話もして下さった。
また、社内でかつてOさんが率いていた部署が、かなりの功績を挙げたのだろうなと思わせるエピソードもお聞きした。詳細までは話されなかったが、その時のOさんの言葉が忘れられない。

「私は別に何もしてないよ。部下が頑張ってくれたんだよ」

ああ、こんな人の部下に、私もなりたかった。

2008年の秋に第6号を発行したとき、Oさんはこんなことをおっしゃっていた。

「5年くらいでやめようかなって思ってたんだけど、もう6号か。長いこと、続いたなあ」

2008年の暮れ。Oさんから電話がかかってきた。

「筆自慢が、うまいこと動かへんのや」

ちなみに「筆自慢」というのは、かつて販売されていた宛名印刷ソフト。シンプルで使いやすいソフトだったのだが、使用者は少数派。マニュアルも皆無。
私が筆自慢を使っていることをOさんはご存じで、年賀状の時期になると使い方を聞かれることがそれまでもあったのだ。

父が入院中だった病院の談話室で、Oさんと話し込んだことを覚えている。

明けて、2009年正月。Oさんが悪戦苦闘しながら筆自慢で作成した年賀状が、私の手元に届いた。
それからすぐ、私の父が亡くなった。1月から2月は、夢のようにはかなく過ぎていった。

2009年、秋。そして冬。
Oさんからのご連絡が、とうとう途絶えた。

同窓会の重鎮で、会員の皆さんから頼りにされていた方が亡くなったと聞かされていたので、とうとう会報誌も終わってしまったかとしみじみ思っていた。

そして、今日。
1枚のハガキがポストに舞い込んだ。

内容を見て、私は「えっ!」と声をあげ、愕然とした。

Oさんが、昨年2月に亡くなられていたのだ。

私が年賀状を送っていたので、Oさんの奥様が寒中見舞いを下さったのだった。

私がお会いした時には、元気で会社に出勤されていたのに。
たくさんお話したのに。
年賀状もいただいたのに。

そのわずか2ヶ月後に亡くなられたなんて。

会がなくなって仕事が終わるなら、まだ納得もできる。
でも、Oさんが亡くなることで、仕事が終わるなんて。

なんか呆然としてしまって、仕事が手に付かない。

私の父が1月に亡くなり、さびしさと悲しさでぼんやりしていた2月。
その2月にOさんも亡くなっていたなんて。

既に傘寿を迎えておられたOさん。少しお耳は遠くなりはじめていたけれど、とにかく非常にお元気で、背筋もしゃんとしていて、口調もはっきりしており、元気にとっとと歩き、車も自分で運転、とてもとても80代には見えなかった。
お休みの日には野山を巡り、好奇心も旺盛で、美術館巡りなどもしょっちゅうされていた。

ハガキを読んで数時間経ったけれど、今でも信じられない。

本当にきれいに、潔く逝かれたのだなあ。
穏やかな最期を迎えられたのだろうなあ。

私の手元には、過去に作成した6冊の会報誌が残されている。
会員の皆さんの思い出だけではなく、私とOさんとの思い出もぎっしり詰まった会報誌。

Oさんって、なんだか、祖父のような暖かさを感じる人だった。
私が生まれたときには、既に両祖父ともこの世にいなかったので、よけいにそう感じたのかもしれない。

Oさん、6年間ありがとうございました。
この会報誌作成の仕事は、私の仕事の礎のひとつになっています。

毎年秋にいただくOさんからのお電話は、私に季節を感じさせてくれるものにまでなっていました。
「今年もお会いできてうれしいです」と、お会いしたときに申し上げるのが楽しみでした。

本当にお世話になりました。

あまりにも遅すぎるご挨拶ですが、謹んでご冥福をお祈りします。
どうぞ、安らかに。




Oさんは、与謝蕪村がお好きでした。

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