準備万端整えたうえでの犯行だとは思いますが、それにしても、重さ10トンの鋼鉄製の歩道橋を盗むとは。しかも、犯人がまだ捕まっていないとは。

この記事を読んで思い出したのが、亡くなった父のこと。
10トンまではいきませんが、若かりし頃、父も同じようなことをやってたらしいです。

運送会社に勤務していた父、仕事で大きな鉄工関連会社に入場した時に、工場の隅とかに転がってる鉄骨とか鉄くずを、現場の人に見つからないよう勝手に持ち出し、出所不明の物でも買い取ってくれる所に持ち込んで、現金に換えてたらしい。

昭和20年代〜30年代頃の話だと思います。

誰にも見つからず、捕まったこともないと、当の本人は得意満面。罪の意識は皆無。
初めてこの話を聞かされた時は、やんちゃぶりに頭を抱えました。まあ、ちょっとは笑いましたけどね。

ああ、なんともはや。




他人事ならおもろい話なんですが、娘としては情けなかったですわ。

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JUGEMテーマ:気になること


父が病気で倒れて長期入院を続けていた頃、母と「何かペットを飼おうか」という話になったことがあります。

その時の候補にあがったのが、ウサギ。

母の勤務先の同僚に、やはりウサギを飼っている人がいたらしく、聞くところによると、なかなか愛嬌があってかわいいらしい。
母娘共、その日はウサギの話題で大いに盛り上がりました。

その後、母はウサギを飼っている同僚から、いろいろ話を聞いたようです。
家に帰ってきて、私にひとこと。

「ウサギって、あちこちかじるらしいわ・・・・」

神経質な母は、もうそれだけでギブアップ。

こうして、我が家のウサギ飼育計画は、泡のようにはかなく消え去りましたとさ。




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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき


先週の土曜日、2月11日は母の誕生日。生きていれば78歳。

母は、全く悪気なく、私を動揺させる癖がありました。

**その一例を過去記事でどうぞ**
私を動揺させる母〜頭編〜
私を動揺させる母〜見てはならぬ、見せてはならぬ編〜
カラスの神託


私が中学校にあがる数ヶ月前のことだったと思う。
ある日、母は、私に真剣な顔でこう言いました。

「中学に入る前に、選抜試験があるらしいで」

そんな話は初耳です。
でも母がほんとに真面目な顔をして言うので、まだ純朴だった当時の私、どれだけびびったことか。

「嘘や」
「ほんまや。そう聞いた」

その後の詳細はもう覚えていないけれど、今から30年以上も前、地元の公立中学に入学する生徒に選抜試験などが実施されるはずもない。

母のあの時の言葉を、ふっと思い出す時がある。
私の推測だけれど、母は誰かから私立中学を受験する人の話を聞いたんじゃないかなあ。

当時は、私立中学を受験するクラスメートなんて、ほんの少数。
地元には進学塾がまだなかったので、受験組は電車に乗って有名進学塾に通っていたという話を、クラスメートから聞いた覚えがあります。

母はそのあたりの話を聞きかじって、真偽を確かめないまま、私に伝えたのではなかろうかと。

無駄に私を動揺させる、ほんまに困ったおかあちゃんでした。




悪気がないっちゅうのが、困りもんなんですよねえ・・・。

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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき


正月早々、辛気くさい話題が続いてすんません。

今日、1月10日は、母の命日です。亡くなって18年が経ちました。

父については、ホームページやブログを活用して、生きていた証をたくさん書き残すことができましたけど、母に関しては私の記憶がすべてです。
10代の頃は日記を書いてましたけど、母が亡くなった頃には既にやめてましたから。

ちょっと残念だなって、今になって思います。

今振り返れば、母は自分の体の異変に気付いていたのだと思います。
母の死後、親戚と話をするたびに、「そういえば、あの時に・・・」というエピソードが次々に出てきました。

だけど、それらのエピソードと母の体調をリンクさせる人は、私を含め、誰もいませんでした。
母と病気が結びつかなかった。想像もしなかった。

ずっとそばにいたのに、母のことを、私はちっとも見ていなかったような気がします。

母が生きていたら、今の私はない。
だけど、母がいなければ、やはり今の私はない。

母が生きていた時よりも、今の方が、母のことを考えています。

きっとこうやって、一生考え続けるんでしょうね。
母の生き方や考え方を。




母のことを覚えている親戚も、ずいぶん少なくなりました。

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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき



今日、1月6日は、父の命日です。父が亡くなって、もう3年です。

で、なぜ冒頭にこの本をもってきたかといえば、父もいわゆるアルコール依存症(当時はアルコール中毒→アル中と言ってました)だったから。

私が小学校3年か4年の時。
そろばん塾に行く直前、私は父の妙な言動を目にしました。まだ母は仕事から戻っていませんでした。

「おい、天井裏に誰かおるぞ」

真剣な目で、天井を見つめる父。でも私には、何の音も聞こえません。

父を一人残し、私は家を出て、歩いて5分くらいの所にあったそろばん塾に向かいました。道々、不安な気持ちと言いしれぬ恐怖が、胸の奥の方からこみあげてきたのを、はっきりと覚えています。

そろばん塾から帰宅すると、父はいませんでした。

母から聞いた話の記憶は、今はもうかなり薄れているのですが、父が天井裏に誰かがいると大騒ぎし、近所の方々を巻き込んで、いるはずのない不審者を捜し回ったこと、誰かが110番してパトカーまでやってきたこと、冒頭の本にも掲載があるアル中専門病院に、父が緊急入院したことは、紛れもない事実です。

その当時のことは、母が亡くなって、私が父の介護を始めてから、本人の口から直接聞かされました。

2階の天井が割れて、誰かが襲ってくるのが本当に見えたこと。
入院初日は鉄格子がはめられた部屋に入ったが、「こいつはまだましや」と言われて、すぐに大部屋に移ったこと。
同室のメンバーと連れだって病院を抜け出し、近所の自動販売機で酒を買って飲んだこと。
アルコールを断つための「断酒会」に参加した帰り、酒を飲んでいたこと。

それはそれは、得得として話してましたっけ。

父の父(私の祖父)も酒が手放せず、メチルアルコールまで飲み、それはそれは悲惨な最期だったそうです。
そんな父親を間近で見ているのに、父もやはり酒が手放せなかった。10代から飲んでたらしいですし。

朝から水代わりに酒を飲んでました。
肝硬変になって体中が真っ黄色になっても、飲んでました。
飲酒運転など日常茶飯事で、二日酔いの状態で家族を乗せて運転し、近所のお宅の塀にぶつかったこともあります。その後しばらくは、父の運転する車には、怖くて乗れなかった。

何よりも救いようがなかったのは、自分の飲酒が原因で、妻や子を苦しめているという自覚が、父に全くなかったこと。
何しろ、アル中専門病院に入院したことを自慢してるくらいですから。

アルコール依存症は病気で、治療法はちゃんとあって完治するものだ、家族だけで依存症患者を抱え込んじゃダメだと、何度も書かれているこの本を読むと、父のことを思います。

お酒は父に、何を与えていたのだろう。
父はお酒を通して、何を求め、何を訴えていたのだろう。
父にとってのお酒って、いったい何だったんだろう。

自分の気持ちをうまく言葉で表現できない人でしたが、幼い頃から心の中に深い深い沼を無意識に抱えながら生きていたような気がします。
今の時代、父がもっと若ければ、心の病を患っていると診断されたかもしれないな。




あんなに父が寂しがりやだなんて、思いもしなかったです。

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JUGEMテーマ:今日のこと


今日9月6日は、父の誕生日。生きていれば、76歳。
父が亡くなって、もう2年半以上も経ったのです。早いものです。

父は、自分の名前が大嫌いでした。
その理由は、幸と書いて「みゆき」と読む、女性のような名前だったから。

聞いたところによると、近所にお住まいの方だったか知人だったかに、同じ名前でとても立派な方がいたという理由だったらしいのですが、何にしても昭和10年生まれの男性に名づけるには、あまりにもハイカラすぎる名前です。
振り仮名をうたないと、他人様から決して正しくは読んでもらえなかったですからね。

だから父は、自分の名前を名乗るときは「みゆき」ではなく「こう」と言ってました。
私が同席しているときは、「こう」ではなく「みゆき」と読むんです、と訂正する。
すると相手は、「珍しいお名前ですねー」とおっしゃる。
父は反応しないので、私が「そうでしょう」と応える。
そんなことがよくありました。

親は良かれと思って名づけたのでしょうが、名づけられた子供の方は、自分の名前にずっと違和感を持っていた。
父は最期まで、自分から正しく名前を伝えることはしませんでしたが、そのこと自体、父にとっては不幸だったかもしれません。

子供は親の所有物じゃないのだから、その名前に親の願望をたやすくのせるものじゃない。
他人から覚えてもらいやすい、子供が一生誇れる名前を考えてやるべきだ。

父を見ていて、つくづく感じました。

お寺さんが「幸」の字を入れて戒名を名づけて下さったのですが、それは「こう」と読ませるもの。
だから、父はちょっとだけ喜んでいるんじゃないかなあと、勝手に想像してます。

まあ父いわく、「死んでしもうたら、何もわからへんわい」なので、私のささやかな自己満足なんですけどね。




あの世で楽しく過ごしていてくれたらいいなあ。

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昨日の続き。

私の母は、よそ様から何かをいただいた瞬間から、その方へのお返しについて考える人でした。もらいっぱなしなんて、絶対にあり得ませんでした。
「○○さんにあれをもらったから、早く返しをせなあかん」って、よく言ってました。

たとえば、りんご1個いただいたら、イチゴ2パックという風に、いただいた物の倍以上の金額がする物を購入し、その方に届けていました。

いただいた時には、その方の前で、感謝の言葉を伝えていました。
だけど私の前では、「返しをせなあかんから、物をもらうんは嫌いや」と言っていました。

親しい間柄の人だと、「そんなもん、いらん。何にも持ってくることない」と言って、贈答品を突き返すこともしばしば。

母は亡くなる1年前に、ガンで入院しました。
入院2ヶ月後、一時期危篤状態に陥ったため、一般病室からICUに移りました。
数日間ほとんど話ができない状態が続いたのですが、何とか母は意識を回復しました。

意識を回復した母が私に告げた、最初の言葉はこれでした。

「前にいた病室の人に、ティッシュを配っといて」

今はあまりそういった習慣はないかもしれませんが、20年ほど前は、退院時にティッシュやウェットティッシュなど、入院生活で必要になる消耗品を同室の入院患者さんに配るという、暗黙の習わしがある病院が多かった。
母が入院していた病院もまさにそうで、そういう習わしにうるさい、牢名主のような長期入院患者さんが、各病室に必ずおられたんです。

病状が回復したら、また元の部屋に戻るかもしれない。
だから、ティッシュを配っておけ、と。

危篤状態から脱したばかりの人が、なんでそんなに他人の目を気にするのか。
回復ではなく、病状悪化で病室を移っただけなのに、なんでそんなものをいちいち配る必要があるのか。

もうべらぼうに腹が立ち、ICUで大げんかしました。

母は、入院した病院で看護助手として長年勤務していました。
ですから、たくさんの看護師さんたちが「お見舞い」を携えて顔を出して下さいました。

母は、「いつ、誰から、いくら(あるいは何を)いただいたか」というのをメモし、退院したら返しをしなければと、ずっと言ってました。
入院生活に必要なパジャマやタオルなどをいただくことが多かったのですが、返しをしなければいけないから、もらった物はそのまま置いておけ(使ってしまったら、何がなんだかわからなくなるから)と、私に命じてました。

正直、開いた口がふさがらなかったです。

そこには、感謝の気持ちなどありません。
あるのは、世間体だけ。

そういう母の姿をずーっと見て育ったので、私も人から物をいただくことが、今でも非常に苦手です。母が亡くなって、もう20年近く経つのに。

感謝の思いよりも、「なんでこんな気遣いをするのか」という相手への責めのような思いや、「こんな物をもらったら、お返しとかどうしたらいいんだろう」という困惑の思いが先に出ることが多くて、母の影響力の強さに慄然とします。

人の好意に、もっと素直に感謝できるようにならなきゃなあと思います。




いただいたパジャマやタオルを使う方が、よっぽどいいお返しになったのにね。

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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき


我が家には昔、火打ち石がありました。
受験などの「いざ、出陣!」みたいな時、玄関でこの火打ち石を親が打ってくれたこともありましたが、一番多く使われたのが、何かをいただいた時。

ご家庭に仏壇がある場合、何かをいただいた時、特にそれが食べ物だった場合、まず仏壇にお供えするというのが、一般的だと思います。
我が家には昔から仏壇が鎮座していましたが、そういう習慣はありませんでした。

母は、いただき物には、まず火打ち石をうっていました。火花が出るまで打ってました。
ちなみに母方の祖母も、同じ事をしてました。

その理由は、「なんか(何か)悪いもんがついてたらあかん」から。

贈って下さった相手方の家の悪いもの(因縁とか、目に見えない悪い影響力)が、物についていたら困るからっていう、いわゆる厄除けみたいな理由付けだったと思う。
子供ながらに、何とも言えない違和感を抱いてました。

懸賞で当たったようなものは対象外ですが、お中元やお歳暮などの贈答品や、ご近所からのおすそわけなどには、必ず火打ち石を打つ。打たないうちは、開封してはいけなかった。
火打ち石を打つことを、「火をかける」と言っていた記憶があります。

家でそんな儀式が行われていることは、口止めされたわけではないけれど、私は一切口外しなかった。母も祖母も黙っていたと思う。

父がやんちゃで、とにかくむちゃくちゃな人だったから、家庭がこれ以上荒れないように、という母たちの願望があったのだと思います。
だけど結果的には、相手の好意を疑ってかかっているということですから、失礼な話ですよねえ。

母が亡くなったと同時にこの儀式は廃止し、何かをいただいた時には、未開封のまま仏壇にお供えするように路線変更。
「○○さんから、こんなのもらったよ」って伝える方が、すっきりする。

だけど母は、私の行為に腹を立てているかもしれないな。
父が母を適当にいさめていてくれたらうれしいんだけど。




当時使っていた火打ち石は、もう手元にありません。

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半世紀以上前の話。

父はかつて、国鉄(現在のJR)駅前の運送会社に勤務していました。
独身の頃、姉夫婦の家に同居していた時代があったそうです。場所は国鉄の駅前。職場からすぐの場所でした。

昔も列車へ飛び込む人は時々いて、今ほど賑やかではなかったため、駅前に住んでいると「誰かが飛び込んだ」というのが、よくわかったそうです。想像がつきませんが、かなり異様な音だったんでしょう。

そんな時、父はすぐその現場に行く。家にいても、すぐ職場に駆けつける。
何をするためかといえば、本人曰く、

「警察と一緒に、遺体のかけらを集めるんや」

現場検証に時間がかかると、電車は止まり、車も動かせず、仕事にならない。
現場検証を早く終わらせるために、集めるんだと。どんな小さなかけらも、残らず集めるんだと。

初めて聞いた時は「嘘やー」と言ったのですが、父は「ほんまや」と言い切ってました。
その後も、折に触れ、何度も何度も聞かされました。

「ほんまに人間が、バラバラになるんやぞ。(列車への)飛び込みは、ほんまにえげつない。あれだけは絶対、したらあかん。迷惑や」

冒頭のニュースには、心底身震いしました。想像するだけでも恐ろしいです。

現場の4人は、間違いなく、猛烈なトラウマを抱えるはずです。
売店にお勤めだった方は、働けなくなるかもしれません。

飛び込み自殺のニュースを見聞きするたびに、父の話を思い出します。
「えげつない」という、父の声を思い出します。




思えば父は、若い頃から死を身近に感じていたのかもしれないな。

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今日2月11日は、母の誕生日。生きていれば、77歳。

私は高校時代、本当に勉強しなかった。クラブにも入らず、ぼーっと怠惰に過ごしてた。
特に理数系の科目は、見るも無惨な成績だった。あの成績でよく進級・卒業できたもんだと、今でも本当に感心している。

母は私に大学へ進学しろと、やいやい言っていた。私立大学は学費が払えないから、国公立へ行けと。
そして、教師とか看護師などの堅い職業につけと、言い続けていた。

当時の私には、将来何をしたいか、目的も目標も何もなかった。
だけど、大学という甘美な響きに惹かれて、学校だけはいろいろ探した。
そして目に留まったのが、神戸市外大。超難関校である。

公立大学で、神戸で、外国語。何かかっこよさそうという、あこがれだけ。
絶対入学してやる!というガッツはなかった。考えも甘かったし、何もかもがもうどうでもよかった。
そんなやる気のない状態で、受験勉強なんてできるわけがない。

高校3年になって、一応予備校みたいなのにも通った。でも、無駄だった。
私自身にやる気がないんだもん。

予備校側は、私の成績では絶対大学は無理で、予備校の授業にもついていけないだろうと、母に宣告してた。
それでも母は、強引に入学させた。結果、見事に挫折。途中からは、予習も復習もしてなかったと思う。

共通一次試験は一応受験。でも勉強してないから、結果はボロボロ。
その時点で大学はムリだと判断、浪人する気も就職する気もなかったので、とりあえず専門学校への進学を決め、自分で学校を選んで「ここへ行く」と親に宣言。

結局母が折れたけど、「大学へは行かない」と言ったら嘆いてたねえ。

あれから、30年近く経過。

先日、義理の従兄とその息子夫婦とで会食した時のこと。

何の話からだったか、従兄がふとつぶやいた。

「ひーちゃんは、神大(しんだい・神戸大学のこと)に受かっとったんを蹴って、専門学校に行ったんやもんなあ」

最初は従兄が何を言い出したのか、さっぱり理解できなかった。

「なんか、大げさな話をしたはりますねえ」
「何言うてるんや。あんたのお母さんが、嫁(私の従姉・故人)にそう言うてたらしいで。わし、そう聞いたで」
「えええええ!!」

絶叫する私に向かって、その場にいた従兄の息子が、ぽつりとつぶやく。

「俺も、お母さんから、そう聞いてるで。お母さん、別の親戚にもその話をしてたで」
「ええええええ!! 私、共通一次を受けただけで、二次試験は受けてないで!」

母が私の経歴を大胆に詐称していた事実が、偶然発覚。

母はおそらく、共通一次試験のシステム自体を理解していなかったと思う。そして私が口にした「神戸市外大」が、母の中で勝手に「神戸大学」に変換されたということも、予想が付く。

だけど私は、大学に合格したなどということは、母に一切言っていない。
共通一次を受験しただけで、合格・不合格などということはあり得ないのだから。

どこをどう間違えたら、そういうロジックが出て来るのか。
母の誤解なのか、見栄なのか。それとも従姉の勘違いか。

母も従姉も、もう亡くなってしまったので、本当のことを確認する術はない。永久に謎だ。
でも、生前の2人は大層仲が良く、頻繁に連絡を取り合っていた。従姉は母の信奉者だったし、従姉の勘違いとは考えにくい。

母の真意は理解できないが、断言してもいい。

全神経を私に集中させ、ひたすら「娘のため」に生きていた母。他の誰もがそう思っていた。私自身もそう思っていた。
でもそれは、私のためでなく、母のためだったんだ。

当時は気付かなかったが、母の私への「期待」という名の圧迫感は、想像を絶するものだったと、今では思える。
過去に戻してあげると言われても、特に10代の頃には絶対戻りたくない。断言できる。

母が思い描いている「娘の理想の進路」を、私は選択しなかった。
それまで大概のことは、母の言いなりで生きてきた私にとって、初めての大きな反抗だった。きっと母は、それを受け入れられなかったんだ。

そのことに改めて気付かされた。ショックだった。

母が亡くなったのは、それから約10年後のことである。
母は最期まで、私に期待し、依存し、もたれかかってきていた。

母と私は、同じ人間同士として、理解し合えないままだったのかもしれない。
思えば、私は母に、本音でぶつかることがなかったもんなあ。




生きていれば、今年喜寿のお祝いだった。

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