JUGEMテーマ:今日のこと


仏壇

今日、父の三回忌法要を務めました。
2年前の今日、1月6日が父の命日です。

2年前の今頃(午後10時過ぎ)は、葬儀会館にいました。
打ち合わせとかを終えて、帰宅しようとしていた頃かな。

法事といっても、ほとんど私は何もしてません。
参列者は私だけなんで、手を抜きまくりです。

それでも先月辺りから、今日のこの日のことが常に頭にありました。
何をするわけでもないのですが、気になっていました。

「死んでしもうたら、何をされてもわからへん。その辺に埋めとけや」

父の口癖でしたが、法事もせずにほったらかしてたら、それはそれで絶対怒り出すはず。
「わしはほったらかしかい」って、ひがむはず。
父は、そんな人でした。

口では新年のご挨拶をしてましたが、やっと今日、私は心のお正月を迎えたような気がしています。

思えば父は、幼い頃から死と隣り合わせの人生を送っていました。
戦前生まれですので、戦争とは常に隣り合わせ。でもそれだけではありません。

幼い頃、父は友達と二人で鳥の巣か何かを取るために木登りし、誤って木から転落。
父は生き残り、その友達は亡くなったのだそうです。

他にも、自殺した同僚の話、三途の川を2回見た話など、死に関する体験談を、父は私にたくさん語っていました。
病気で何度も死にかけたけど、そのたびに不死鳥のように復活していたのは、父はたくさんの人の生を背負っていたからかもしれないなあ。

お寺さんからは、「本当に印象的な遺影ですねえ。遺影はいろいろ見ますけど、ピースサインっていうのは、見たことがないです」と笑いながら言われました。

写真を選んだのは私ですが、父は死してなお、抜群の存在感を放っております。




ちなみに、母の命日は1月10日。

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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき


先日、ヤフー知恵袋でこんな相談を見つけました。

ヤフー知恵袋:はじめまして!携帯電話初心者の母から半日かけて作成したメールが届きました。人の気持ちが分かる優しい人に和訳をお願いします。

一読しただけでは解読不可能な、それでも相談者のお母さんが必死で作成したことがわかるメール。相談者との良好な関係が垣間見えます。
数人の方から「解読」が寄せられ、既に解決済みの相談なのですが、これを読んでたくさんのことを思いました。

現在70代半ばの母方の叔母も、時々携帯メールを私に送信してきます。
アドレス帳の登録方法とか、詳しいことは今ひとつわかっていないようですが、それでも絵文字とか使って意味の通じるメールを送ってきます。

私の親戚で携帯メールを使う最年長は、母方の伯母かな。去年だったか、喜寿だとか言ってたから、もう既に80歳近い。
子どもや孫から届くメールに、ちゃんと返信メールを送信するらしいです。

私の母が生きていたら、76歳です。
携帯が普及する前に亡くなってしまったのですが、もし今元気だったら、携帯メール、使ってただろうか。時々想像してます。

古い固定概念でがちがちだった割に、比較的新しい物好きだったので、チャレンジしてたかもしれない。
でも結局、「メールしといて」って私にお鉢が回ってくるというパターンかな。

母が存命中にもし携帯があったら、かえって不便だったかもしれない。
だって、いつでもどこでもつながれるから、「早く帰ってこい」とか「買い物してこい」とか、好き放題連絡してきそうだもの。

私は母に全てを依存して生きてました。自分で考え、自分の足で歩いていたつもりだったけど、私の考えや行動の裏には、必ず母がありました。
だって母は、自分の情熱全てを私に向けていたから。

常に母の顔色を見て行動し、言いたいことをあらかた飲み込み、こんなものだとあきらめることで、精神的なバランスをとっていました。
今思えば、当時の私は人間的にものすごくゆがんでいたと思います。

母が亡くなって1年くらいは、情緒不安定な状態が続きました。
自分が無茶をしていたこと、大人として独り立ちしていなかったことに、母が亡くなるまで全く気付きませんでした。

今、もし、母と携帯が共存していたとしたら、私は壊れていたかもしれません。




両親とは本当にいろいろありましたが、親からの愛情を感じられたのは救いでした。

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JUGEMテーマ:今日のこと


今日9月6日は、父の誕生日。生きていれば、75歳。
月命日でもありますので、仏壇にビールをお供えしました。

酒の飲み過ぎで肝硬変になり、体中が真っ黄色になっても、飲んでた。
アル中の専門病院に入院したけど、入院中にも外出して飲んでた。
晩年は、「ビールはガソリンや」と言い放っていた。

父の飲酒と賭け事に、母は泣かされた。私もつらかった。
昔は給料は手渡しだったけど、給料袋の中味が給料明細通りだったことなんて、なかったから。

だけど今はもう、いくら飲んでも叱られないもんね。
あ、でも、あの世で母に怒られてるかな。不毛な喧嘩、繰り返してるかな。

スーパーの酒売場に行くと、痛くて切ないです。


ガンが発覚する約1ヶ月前の父。

すぎやん

老人ホームで暮らしていた父と、家でお好み焼きを作って食べた時の写真。
お好み焼きが大好きだった父は、がつがつ食べてました。

すぎやん

「ホットプレートでこんなに焼けるんか。えらいもんやのう」

この日の3ヶ月後には、もう父はこの世にいなかった。

昔から粉物が大好きだった父、よく一銭洋食とかお好み焼きを作ってくれました。
自分なりに材料や調味料の配合を考え、人に聞いたりしながら、えらく工夫して焼いてました。そのせいか、すごくおいしかった。特に一銭洋食のおいしさは、いまだに忘れられません。

ホットプレートなどではなく、鉄板をガスコンロの上に置いて焼いてました。
鉄板ですよ。分厚い鉄の板。
どこかで拾ってきたんだか、もらってきたんだかと言ってました。

「これでお好み焼いたら、うまいぞう」

母は「こんなごっつい重たいもん、持って帰ってきて!」と、ぶいぶい怒ってました。

ちなみに父はかつて、どこからかパチンコ台(昔の手打ち台)を持って帰ってきたこともあります。

若き日の父は、どこかの製鉄所とかに仕事で行った時に、金目になりそうなものを勝手に取り、売り飛ばしたこともある強者です。
鉄板やパチンコ台、いったいどこで調達してきたんだろうな。

お好み焼きを食べると、たくさん父を思います。




なんたって、断酒会に参加した帰りに飲んでたからね、うちの父は。

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JUGEMテーマ:今日のこと


私の父は、お笑いが大好きでした。
流行の芸人さん情報は、私より詳しかったです。
だけど決まって、「今の若いやつは、おもろない」と言ってました。

そして、「やすきよは、おもろかったのう」と言います。
私は、「ほんまやなあ」と返事します。
このやりとりは、鉄板でした。

父は基本的に、自虐ネタを繰り出す漫才師が大好き。
カウス・ボタンもそう、敏江・玲児もそう。
でも、やすきよは別格。父は毎回、絶賛してました。

父とやっさんって、キャラがかぶるんですよねー。
寂しがりで、生き方が下手くそで、酒が大好きで。
やっさんが亡くなった時、何だかすごく寂しかったな。

私の大好きなネタ。「ミネソタの卵売り」のくだりが最高。




やっさんが演じると、同級生ネタも変な方向に。




パリジェンヌの話もいいけど、冒頭の船が最高です。




やすきよの漫才は、父の笑顔とリンクします。




やっさんの奥さんが亡くなったのは、やっさんの十三回忌の年でした。

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JUGEMテーマ:今日のこと


私の母は、歌が大好きでした。
何しろ定年後の夢のひとつが、「紅白を生で見る」ということでしたから。
聴く曲はほとんど演歌でしたけど、さだまさしさんの大ファンでもありました。

だけど、母が一番大好きだったのは、やはり美空ひばりさん。
母は昭和9年生まれ、ひばりさんは昭和12年生まれ。ほぼ同世代ですから、ひばりファンというのは約束事項みたいなものです。
こっそり映画館にも足を運んでいたと、親戚から聞かされたこともあります。

ひばりさんがまだ存命の頃は、テレビで彼女の歌やおしゃべりだけの2時間番組が、年に何回も放送されてた。
そのたびに、母はすごくうれしそうな顔で見てましたね。

私は、ひばりさんが「悲しい酒」を歌うたびに泣くのがすごいと思ってました。



今でもひばりさんの曲を聴くと、母を思い出します。







ひばりさんは、ほんとに何でも歌える歌手でした。

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JUGEMテーマ:親のこと


今日2月11日は、私の母の誕生日。生きていれば、76歳。

普段、ブログに父ネタをよく書いてますが、母もかなりの個性派でした。
父は明日のことを全く考えない性格ですが、母はその日のことから20年くらい先のことまで考える性格で、とにかく基本的に堅物でまじめ。

そのまじめさ故に、私は母に精神的に追い詰められたものです。
でも母はそんなつもり、毛頭ないんですけどね。

この季節、よく思い出すのが高校受験のこと。

もう30年も前の話になりますが、当時は公立高校を希望する生徒は、半ば強制的に私立高校を併願受験することになってました。
だけど母は、私学併願を許してくれなかった。

「私学に通わせるお金はありません!」

担任の前で、きっぱり宣言。そしてこう付け加えました。

「公立に落ちたら、夜間に行かせます!」

夜間というのは、夜間高校、いわゆる定時制高校のこと。当時、隣市に公立の定時制高校があったのです。
全日制に落ちたら、働きながらそこへ行けと。

確かに我が家は、当時経済的に結構きつかったですし、父はすっとこどっこい。母は常々、「私学には行かせられない」と私に言ってました。
行かせられない学校を受験させても仕方がないし、公立専願の覚悟を私に持たせるために取った手段だったんだろうけど、精神的にものすごく追い詰められてきつかったですねえ。

同窓生は500人以上いますが、公立専願受験した人なんて、ほとんどいなかったと思う。
なんというか、自分だけ仲間はずれになったようで寂しかった。正直、受験だけでもしたかったです。

だけど公立専願のおかげで、「地元集中方式」の圧力から簡単に逃れられたのかもしれませんが。

この「地元集中方式」、Wikipediaに詳細な説明がありますが、要するに「公立高校に行く場合は、自分の学区内にある高校を受験しましょう」と奨励する運動。今思えば不思議な仕組みですが、本当に行われていたんです。

私はA高校を志願していましたが、私の学区内にあった高校はB高校。でもB高校はA高校よりかなりレベルが高く、私の学力ではかなり無理があった。受験しても不合格の確率が高い。
なのに担任は、B高校を受けないかと私に言いましたね、一応。

でも母が「公立専願」と言い張ったので、担任もそれ以上言いませんでしたが、もし私立併願してたら、強引に受験させられたかも。

それにしても、もし私が、A高校にも、隣市にあった定時制高校にも不合格だったとしたら、母は私にどういう態度で接していただろうな。

母の誕生日の頃は、受験シーズンとも重なるので、高校受験と母がセットで毎年思い浮かびます。




すったもんだの末、A高校に無事合格。しかし2005年にA高校は廃校となり、この映画のロケ地として使われ、現在は住宅街となりました。

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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき

 


先週土曜日(6日)、久しぶりに京都に行きました。
何をしに行ったかといえば、これ。

納骨

父が亡くなって1年以上経ち、仏壇に置いておいた遺骨を納骨しに行ったのです。

私は収骨時に骨壺を大小2つ用意しました。
大きな骨壺に入れた骨は既にお墓に納骨しましたが、小さい骨壺に入れた方はずっと仏壇に置いておいたのです。

ずっと家に帰りたがってましたし、母の時も同じようにしましたし。

本当は先月の一周忌後に行こうと思っていたのですが、何となく気が進まなかった。
でも今月は一緒に京都へ行って、父ともう1回さよならしようと思い、父の月命日でもある6日に行ってきたわけです。

この日は本当に寒くて、京都市内は雪が舞っていました。

納骨場所は、ここ。

大谷本廟

大谷本廟、通称は西大谷さん。西本願寺の信徒さんの遺骨を納める納骨所です。
かつての我が家では、「五条坂へ行く」と言えば、この西大谷さんへ行くという意味合いでした。

お彼岸やお盆の時期、関西のテレビニュースでよく登場する、広大な墓地も併設されています。母方のおばあちゃんのお墓も、この墓地の一角にあります。


大きな地図で見る

地図をご覧いただければおわかりの通り、すぐ近くに有名な清水寺があります。
でも私、かなり大きくなるまで、近くに清水寺があることを知らなかった。

ここが読経所。

読経所

その日の人数にもよりますが、たいていは読経所につながる仏殿で法要が行われます。

ここが明著堂と呼ばれる納骨所。この奥に納骨されます。

明著堂

明著堂

1日2回、毎日法要が行われているので、お参りの方は全国からたくさんお見えですが、私と同じように納骨目的で来られていた方は、このときは他に2組おられました。
お坊さんがお骨を持って、明著堂の奥に消えて行かれた時、泣いておられた方もいました。

1年前に泣き尽くした私ですが、お骨を見送るとき、心にぽっかり大きな穴が空いたような気がしました。
15年前、母の納骨をしたときの空虚感みたいなものを、また思い出しました。

でもこうやって父を見送り、改めてしみじみ思ったこと。

両親の言動には、子供の頃からずいぶん困らされてきました。父はまともに給料を家に入れないし、酒の飲み過ぎでしょっちゅう体を壊していました。母は常に殺気立ってました。
夫婦喧嘩が絶えず、離婚寸前まで話が進んだこともあります。

家にいることが、すごくしんどかった。

そのせいか、今思えば、子供らしくない子供でした。
親にずいぶん遠慮してたし、つらいこととか悲しいことを飲み込み、親にはあまり本心を明かしませんでした。希望を聞かれても「何でもいい、どっちでもいい」と言い続けました。

親の言動がきっかけでトラウマとなり、この年になっても克服できないことが、いまだにあります。
ふとしたことで情緒不安定になり、自分で自分をうまくコントロールできない時もあります。

だけど両親とも亡くなった今、私の両親は、私のためならば自分を投げ出す覚悟を持った人だったと思えます。
方法はめちゃくちゃでしたけど、私は両親に愛されていたと思う。大切にされていたと思う。

今、そう思えることは、幸せなんだと思う。
今だから、そう思えるのかもしれない。

私の中にずっと存在する両親を、一生涯かけて受け入れることが私の務めだし、両親の生き方を超えることが私の目標。

仏壇の片隅に1年置いていたお骨がなくなり、ちょっと寂しい私です。




父・すぎやんは、バタヤンが好きでした。

 

 

 

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JUGEMテーマ:四十路のつぶやき

ちょうど1年前の今日、11月10日は、忘れられない日。

2ヶ月にわたる父と私のラストスパートの日々がスタートした日。
父がお世話になっていたかかりつけ医から、父の血液検査の結果が非常によくないと宣告を受けた日です。

お腹の底がひんやりと冷たく感じた日から、もう1年が経ちました。

あの日はとても寒かったけど、私の中で冷や汗のようなものが流れていました。

かかりつけ医は、希望的観測を口にしてくれていました。
精密検査をしないと、血液検査の結果だけでは詳細はわからないと言ってました。

でも。

父は、ガンかもしれない。いや、たぶんガンだ。いやいや、間違いなくガンだ。
なぜか、確信みたいなものがありました。

母もガンで亡くなったのに、今度は父か。なぜ、どうして。
頭を抱えました。

父はそれまでいろいろな病気にぶち当たって来て、その都度不死鳥のごとく復活してきました。
だけど今度こそ、命に関わる危機だ。
もしかしたら、かなりの確率で、父との別れの日が来るかもしれない。それもそんなに遠くない日に。

希望的観測にすがりたかったけど、私の心は悲観的観測を返してくる。

それならば、走らなきゃ。
とにかく、走らなきゃ。
父のために、私のために、全力で走らなきゃ。

去年の11月10日以降は、胃カメラ検査の結果ガンが判明、総合病院に入院して検査、十二指腸ガンと転移性の肝臓ガンという病名が確定、抗がん剤治療中に容態急変と、まさにジェットコースターにずっと乗り込んでいるような日々が待ち受けていました。

父と私は、一緒に走りました。ふたりで、走りました。
父は最期まで、死ぬ直前まで自分を貫き通しました。「大丈夫」と言い続けてました。

父が息を引き取ったのは、今年1月6日。形ある父の最期の日(葬儀・告別式)は、1月10日。
ラストスパートの日々がスタートした、ちょうど2ヶ月後のことでした。
そしてこの1月10日は、母の命日に当たる日。

ちなみに母は、入院した日のちょうど1年後が、葬儀・告別式でした。

こんな嘘のような偶然を経験済みだったことも、父の最期を予感した原因かもしれない。

1年前の今日、私は何度も大きなため息をついていました。
1年前の今日、父はまだ確かに生きていたのに。




ある事柄についていろいろ悩んでも、最初に浮かんだ答えが結局正解ってこと、よくあるよね。

 

 

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久しぶりの母親ネタ。

うちの母親は、俗に言う健康おたくでした。「命よりも健康が大事」と、本気で考えてたような気がする。
母が生きてる時に、みのもんた氏の「思いっきりテレビ」なんかが放映されてたら、我が家はえらいことになってたと思う。ああいうのにものすごく感化される人だったから。

で、ひとりでやればいいのに、自分の取り組むミッションには、必ず私を巻き込む。私がいやがると、すねて怒る。
思えばいろいろやったものです。その中で印象的なのをいくつか。

プルーン。
便秘にいいからっていうことで食べてた頃がありました。でも私たちには、全く効果がありませんでした。

酢大豆。お酢の中に大豆を入れてつけ込み、大豆を食べる。ついでに酢を飲む。
これはきつかったです。大豆はまだしも、「お酢は体にいいから飲め」と言われましたが、酢を薄めずに飲むって、拷問ですよ。胃が痛くて、たまらんかった。

今で言う、カスピ海ヨーグルトみたいなものもやってた。
母親がどこかからヨーグルトの菌をもらってきて、コーヒーの空き瓶に牛乳と一緒に入れて育ててました。まずくてまずくて、毎朝飲むのが苦痛だった。

熱を出すたびに出てくるのが、乾燥ミミズを煎じた飲み物。乾燥ミミズは、昔は薬局でも売ってました。今は、漢方薬とかを扱っている店に行かないと、ないと思う。
これ、くさくてね〜。死ぬかと思うくらい、くさい。ジュースとかに混ぜても、すぐわかる。嫌だと泣いても、飲まされました。だけど確かに、効きました。

今は、錠剤で売ってます。親戚のおばちゃんからもらって、救急箱の中に入ってます。

 
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私のサプリ歴の始まりは、10代の頃。
母から「とにかく飲め」と言われて、毎日飲んでいたサプリがありました。母が亡くなってから、それがビタミンEだということがわかりました。
私が結構サプリに興味があるのは、この体験からじゃないかと思う。

母親が生きている間から続いている、私の唯一の健康習慣は、これ。

たわし

亀の子たわしで体を洗うこと。

元々これも母に強制的に勧められた習慣。最初は痛くて嫌だったのですが、今ではもう普通のタオルじゃ物足りない。人によっては、皮膚によくないと言われるんだけど、今更やめられない。
30年近く続けているからねぇ。


大概のミッションには付き合いましたけど、断固として拒んで追随しなかったのは、飲尿。これはさすがに、ねえ。
ぶつぶつ言われましたが、母は入院する直前までひとりで続けてました。

母はガンで、入院1年で亡くなったんだけど、トイレにぽつんと残されたコップ、しばらくは捨てられなかったな。

健康おたくで、体にいいと言われれば何でも試す母でしたが、59歳であっという間に亡くなりました。
なんでもほどほどがいいんじゃないかと、母を見ていて思う娘でありました。




ここ1〜2年続けているサプリ。私には合ってたみたいで、いい感じです。


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本当に私のことを、一途に思ってくれていた母。
父がとほほだったし、私は一人っ子だったので、母の全ては私に向かっていた。

我が家のしっちゃかめっちゃかぶりをよく知っている人が、母にしみじみ言っていたものだ。

「あんた、ようこんなうまいこと、娘を育てたな。普通やったら、不良になってたで」

違う違う。母が私に何を期待しているか、どういう生き方をしてほしいと願っていたか、私は身体で理解していただけ。
母の意向を瞬時に読み、怒られないよう、はみ出さないよう努力してただけ。
シンナーも酒もバイクも怖かったから、不良少女にならなかっただけ。

母の意に反して逆らうと、悲しそうな顔をするか、怒り出すか、どちらか。私の行動など全てお見通しで、常に先回りする。
だから私は、夢中でがむしゃらに行動することがなく、さめていた。子供らしくない子供だった。

結果として、小学生の頃から「どっちでもええ」で済ませていた。自分の本音を母の前ではあまり出さなかった。友達の名前さえ、ほとんど言わなかった。

小学3年生の頃、同級生2人から体中をつねられるというひどいいじめを受けていたけれど、それも自分からは言わなかった。

言ってもどうしようもないと、あきらめていたから。

だけどごくたまに、狂ったように叫ぶことがあった。自分でもどこから出しているのかわからないような声で叫んでいた。
親のあっけにとられた顔が、今でも思い出せる。

今思えば、子供なりにストレスをためてたんだろうな。

そんな私でも、ちょくちょく反抗はした。進路のこと。仕事のこと。恋愛のこと。
でも最後まで、勝てなかった。勝とうとも思わなかったけど。

激しく反抗し、私の意見を通すと、母はよく言ったものだ。
「あんたには私の気持ちなんて、わからへん。あんたも子供産んだら、私の気持ちがようわかるわ」
そして、「離婚してもええから、子供だけは産み」と付け加える。

「子供を産まんかったら、親の気持ちなんてわからへん」と。

社会人になって最初に勤務したのは、システム会社。残業が多い業界である。
でも母は、「事務の仕事に、なんでそんなに残業があるんかわからへん。遊んでるんとちゃうやろな」と言ってた。

言っても詮無いことなので、何も説明しなかった。

一番きつかったのが、システム会社を辞めた後に言われた言葉。
母は病院に勤務していたので、親しく話す医師が何人かいたらしい。

「ええ先生がおるから、あんたに紹介したろかなと思うけど、あかんわ。あんたは傷物やから」

いろいろなことがあって、母は私が「まっさら」ではないということを知っていた。
だけど、20代も半ばにさしかかろうという女子で、「まっさら」をキープしている人は、今時はほとんどいないだろう。
今から20年ほど前だって、少数派だった。

当時受けたショックは、今でも鮮明に覚えている。
きつかったし、悲しかった。「傷物」という言葉が、頭の中にわんわん響いた。

でも母に、怒りをぶつけることはしなかった。詮無いことだったので。

そして母が亡くなり、数年後にはとんでもない事件がきっかけで会社も辞め、自分の気持ちを整理し、前に進むために始めたのが、メルマガ発行だったんだろうと、今になって思う。

あのメルマガ発行は、自分を見つめ直すという、人生初の体験が伴った。
昔の私をよく知る人が、「ものすごく変わった。昔より今の方がずっと話しやすくなった」と口をそろえて言ってくれるようになったのが、ちょうどその頃から。

書くネタがなくなり、尻切れトンボのように発行をやめてしまったけれど、自分自身や両親のことを真剣に見つめ直し、気持ちを整理しながら文章を書いたことが、よい結果を生んだのだろう。

子供はいつか親を乗り越えないといけない。
乗り越え方は人それぞれだろうけれど、そうしないと子供は大人にはなれない。
でもそれがわからない「毒になる親」は、確かに存在する。

でもそれはそれとして、自分で自分のギアチェンジをしないと、自分の人生は歩めない。
決してひとりではできないけど、人間ひとりじゃない。
私もいろいろな人に、助けてもらった。
誰かに助けてもらえれば、どんな詮無いことでも、どうにかできる時もある。

ひとりじゃないから、ひとりで生きていけるのだ。

「毒になる親」を読了して、思ったこと。

 

きみが ぼくたちの こどもとしてでなく ぼくらを見たときに
ひとりのひととして いろんなものを見て いろんなことを識(し)ったのち
ちゃんと きみに みとめてもらえるような
おとうさんと おかあさんに なりたいね

猫十字社「小さなお茶会」より

 

 

 

 

 

 

 

 


小さなお茶会 完全版(1)
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猫十字社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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