前回の「とほほな人」とは、約20年前に私が中途入社した会社の上司だった男性だ。
お名前は、「なおさん」。
私より年上なのだが、入社当時からなぜか妙に馬が合い、会社を離れた現在も親しくおつきあいをさせて頂いている。

で、なおさんに早速連絡を取り、「マンション移住計画」をお話ししてみた。
私の話を聞いていたなおさん、こうおっしゃった。

「前から思っててんけど、ひーちゃんって絶対、マンションの方がええで」
「なんでですか?」
「だって、自治会の掃除当番とかで気を遣ってるやろ? それに、1人で戸建てを守っていくって、結構大変やで。建てて8年? それやったらもうすぐ、あちこち修繕せんとあかんようになるで」
「はぁ・・・」
「マンションやったら、まずゴミ当番のこととか気にせんでええで。共有部分は全部管理人さんが掃除してくれるわ。管理人さんの仕事のほとんどは、掃除やで。管理費は確かに毎月かかるけど、気を遣わんでええから、気持ちが割り切れるやん。それに、マンションかってメンテナンスは必要やけど、自分で気にするんは専有部分だけや。共有部分は、大規模修繕に備えて積み立てせなあかんけどな」
「はぁ・・・」
「マンションは、移動も楽やで。俺の実家は2階建てやけど、何をするにも上下移動や。マンションは平面移動やから、たまに帰省したらめんどくさくって。親もほとんど、1階で生活しとったわ。年取ったら、2階建てなんか絶対無理や。俺は両方住んだけど、絶対マンション派やな」

なおさんは、私の痛いところをぐさぐさと突いてくる。

「俺やったら、そんなしんどい所に住むん、いややな」
「え?」
「便利なんかもしれんけど、小さい頃から顔が知られてて、未だに『ちゃん』付けで近所の人に呼ばれるような所にずーっと住んでて、しんどないか?」

突き刺したまま、私のやわな神経をさらにぐりぐりと引っかき回すようなことをおっしゃる。
でも、なおさんの言うことは、いちいちもっともなことだった。

「マンション選ぶ時は、『戸数は多からず、少なからず』やで」
「何ですか、それ」
「うちのマンションは20数戸やねんけど、その分管理費がべらぼうに高いんや。逆に大規模マンションは管理費が安いけど、とにかく話がまとまらへん。うちのマンションでも、理事会をまとめるの大変やったのに、戸数が多かったらえらいことになる。変なやつとか何にでも反対するやつが必ずおるから、大事なこともちっとも決まらへん」
「へぇ・・・さすが元理事長」
「理想としては、50戸以上100戸未満くらいが、ええんとちゃうか。100戸以上はあかんで。子供がおったら、また違うけどな。それと・・・」

それと、何だろう?

「オール電化は、やめときや」
「あぁ・・・。それは考えてません」

大人の事情で詳細は略すが、私となおさんがかつて勤務していた会社での知識をもって、「オール電化はなるべく避けた方がよい」ということで意見が一致しているのだ。

「モデルルームに見学に行くんやったら、一緒に行ったるで」
「いや、あの、そんな、悪いですう」

遠慮しつつも、付いて来てもらう気ばりばりの私。

「かまへんって。買うの、俺ちゃうし」
「・・・そうですね」
「それに、俺、モデルルームに行く機会がちょくちょくあるんや」

なおさんの親戚は、ほとんどが戸建てにお住まいなのだが、マンションに住み替える方が時々おられるのだそうだ。
その理由のほとんどが、「戸建てに住むのがしんどくなったから」らしい。

「で、俺がマンションに住んでるからっていう理由だけで、『なおちゃん、ちょっと付いてきて』って呼ばれるねん。そやからモデルルームには、割とうるさいで」
「じゃぁ、もし私がモデルルームに見学に行く時は、お願いしていいですか?」
「ええで」

そんなわけで、なおさんに「マンションアドバイザー」に就任していただくことに相成ったのである。

それまで1人でいろいろと考えていたけれど、こうやって他人の意見を聞くことで、「マンション、本気で考えようかな」という気持ちがさらに高まったのは確かだ。

でも、まだこの時点でも、移住を急いではいなかったのだが。





SHAPE UP ADVISER (シェイプアップアドバイザー)
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JUGEMテーマ:マンション購入記

はっきりしたことは不明だが、私が住んでいた戸建てのある町は、とある私鉄が昭和の初め頃に開発したらしい。
当然、その私鉄の線路が町内を東西に横切っているのだが、その線路の北と南では、不動産価値がかなり違っていた。

北側はウサギ小屋的戸建て、南側はお屋敷的戸建てが多い。
当然だが、南側の不動産の方が、高額で売買されることが多い。土地の広さなどの有利な条件が揃ったのだろうが、過去に億の単位が出たこともある。(この時はさすがにチラシに掲載された)

ちなみに、我が家の場所は、線路北側ウサギ小屋密集地帯。

家がいくらで売れるのかはとても興味があったが、反面、不動産屋にそういう打診をしてはいけない、という思いがあった。
なぜなら、「いつかはこの場所に帰る」というのが、父の生きる目標になっていたから

もし私がマンションに移住できたら、空いた戸建てを誰かに貸して、賃料をローンに充てれらないかな、という考えは、常に持っていた。
父のためにも、この家を残せるものなら残したいと思っていたのだ。

そんなにマンション移住を急いでいるというわけでもなかったし。

だがこの夢、あまりにも甘すぎるもくろみだった。
後に、あっけなく崩れ去ることになる。

ところで、毎週のチラシチェックをずっと続けていて、一番よかった点。
それは、「住まいについて譲れない点」をはっきりさせることができたこと。

誰もが家を選ぶ時、たとえ自分で建築した家だったとしても、自分や家族にとって完璧な条件の家というのは、そうそうあるものではない。
「この点が気に入らないけど、何よりもこの点がいいから住む」というような妥協点を見つけて、軟着陸するものだと思う。

チラシチェックで妥協点をはっきりさせられたことは、とてもよかったと思う。
はっきりできていなければ、今こうしてマンションに住んではいないだろう。

私の譲れない点。

1つ。父の住んでいる施設に、少しでも近い所。

移住しようかと考えたきっかけのひとつでもあるので、これは当然。
でも徒歩で3分とか、近すぎるのもちょっと困る。良好な関係を維持するためにも、ほどほどの距離感がほしい。

1つ。ネット環境が整っていること。

仕事の都合上、これは外せない。ブロードバンドの環境が整っていない場所は論外。
できれば光回線、どんなに悪くてもADSL回線の環境が整備されていてほしい。

1つ。近所にスーパーなどの日々の食料品が購入できる施設があること。

日々の生活で何が大事かって、やっぱり食事。「徒歩で」食料品を買いに行く場所が近所にない、っていうのは痛い。
郊外に住めるのは若いうちだけ。車は便利だが、いつか乗れなくなる時が必ず来る。


そして何よりも私が譲れない点。それは「駅近」であること。


私は物心がついた頃から、駅から徒歩10分弱の家で生活していた。
家から徒歩圏内に駅があるという環境は、今ではとても贅沢なこと。だけど私にとってはごくごく普通で、あたりまえのことだったのだ。

駅から徒歩で30分とか、電車からバスに乗り継いでさらに歩く、というような生活は、私には考えられない。

だから、マイカーを移動手段にする、という考えも思いつかない。私にとっての車は「あれば便利だけど、必需品ではない」ものである。持ってるだけでお金がかかるし。
それに、「これから年を取る一方なのに、わざわざ不便な場所へ行ってどうする」という思いも強かった。

住まいの妥協点がはっきりしてきたところで、私はまた壁にぶつかる。

戸建てとマンションの違いって何だろう?
戸建てはひとり暮らしには向かないことは実感しているけど、マンションだとその辺はどう変わるのか、さっぱりわからない。移住してから後悔したくもないし。

賃貸か分譲かで悩んだ時期もあったが、できれば分譲をゲットしたかった。
家賃が高騰していると聞いたこともあるし、「賃貸<分譲」という価値観を持った父への説明が何より難しい。

間違いなく「何で今更、賃貸に行くんじゃ」と突っ込まれるだろうし。

マンションを選ぶにしても、選び方のコツもあるだろう。また、巧みなセールストークに引きずられないよう、冷静な判断力のある他者の目も必要だ。

誰かいないかなぁ・・・。

戸建てとマンションの双方の居住経験があって、冷静に物事を判断できて、気兼ねなく相談できて、後々そんなに気を遣わなくて済む(何らかのお礼をするだけで済む)ような人・・・。
親戚に頼んでもいいけど、言いたいこと言われるし、余計な気を遣う必要もあるし・・・。


あ、いたよ。いた。


実家が戸建てで、独り立ちしてからはずっとマンション住まい。
現在は居住中の分譲マンションを、バブル崩壊で底値だ!と思って買ったのに、「底値のさらにまだ深〜い底があった」と未だに嘆き、普通は1年の任期なのに、住民・管理会社双方の強い希望で、都合3年ほどマンションの理事長を務めさせられた経験のある、とほほな人が。




私の行き方 阪急電鉄、宝塚歌劇を創った男 (PHP文庫)
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小林 一三


JUGEMテーマ:マンション購入記

友人の移住の前後から、新聞に折り込まれる不動産広告を丹念にチェックするようになった。

市内は折しも、新築ラッシュ。
企業がかつて所有・運営していた土地・工場・社員寮。企業の合理化で、これらが次々に売却されていった。
更地が次々生まれ、その更地に戸建てやマンションが次々と建設されていく、といった状態がここ数年続いていたのだ。

特に週末は、新築物件・比較的築浅の中古物件・いつまで経っても売れない古家物件など、不動産広告が山のように手に入る。

物心がつくかつかないかの頃から、ずっと同じ場所に住み続けて約40年。
そのおかげで、市内の町名を見るだけで大体の位置がわかる。地域事情もなんとなくわかる。

その情報を基にして、間取りをはじめ、地域・築年数による価格差などをチェック、「私ならここに住みたいか、住めるか」という視点で、チラシを隅々まで見るようになった。

そんなことをしばらく続けて、ふと気付いたことがある。


うちの町内の物件って、チラシで見ないな、と。


うちから至近距離で販売される物件って、まず、チラシに掲載されない。
だから、価格相場がいまひとつわからない。
販売価格が知りたいなら、管理している不動産会社に問い合わせるしかない。

これは後でわかったのだが「チラシには出ない」物件や地域が存在する。
そういう物件は条件もいいので、希望者が多い。だからまず、自社の既存客に情報を流すのだ。

チラシはあくまで、新規客をゲットするためのもの。
チラシ物件(特にチラシにぎゅうぎゅう詰めに掲載されているような物件)は、ほとんど「撒き餌」のようなものなのだ。

うちの町内は、その「チラシにはめったに出ない地域」だったのだ。

比較的静かな住宅街で、治安の悪さはない。
JRと大手私鉄の2ウェイアクセス。どちらの駅も歩いて10分以内。電車に乗ってしまえば、大阪まで約20分。
駅からは市バスも出ている。タクシーも頻繁に来る。
駅前にはにぎやかな商店街、ちょっと歩けばダイエーもある。
病院もたくさんある。市民病院はないけど、電車に一駅乗れば、有名大学病院もある。
幼稚園・保育所・学校、全て徒歩圏内。

エリア指定買いも多い、いわゆる「人気エリア」だったのだ。

実際、新築・中古問わず、「販売中」のぼりが出ると、あっという間に売れる。
数年前に新築分譲された隣家も、すぐ見学に来られ、すぐ売れて、すぐ「販売中」のぼりが撤去され、すぐ引っ越して来られた。
当然、チラシは入らなかった。

建て替えて約8年。うちっていったい、どれくらいの値段で売れるのかな?

チラシチェックをするうちに、そんな疑問が浮かび始めた。





鯉のぼり 五月人形 登竜門 万能スタンド付 セット 1.5m 鶴亀吹流し
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JUGEMテーマ:マンション購入記

父が病気で倒れて家を離れ、母が亡くなり、「実家」でのひとり暮らしが始まったのは29才の頃。
それ以降、私への好奇心丸出しの視線をひしひしと感じるようになった。
特に、幼い頃から私のことを見知っている、古参住人の方々からの。

正直、ものすごく煩わしかった。

家の建て替え時の解体作業の不手際が原因で、隣の古参住人とちょっとトラブルになったのだが、そのやりとりを通じて、「私のような若造が家を建て替えるなんて生意気な」というオーラをびしばし感じた。
現に、建築途中でも頻繁に文句を言っていたらしいから。

負けん気の強い向いの古参住人は、私が家を建て替えた数年後に、オーダーメイドのオリジナリティ溢れる家に建て替えたくらいだ。

さらに、自治会関連の当番、特に、ゴミ集積場の掃除当番がくせ者だった。

ゴミ収集車は、大体朝8時過ぎにやって来る。ゴミ回収後、集積場に散らばったゴミを取り、水で洗い流すのが当番の役目。
これが少しでも遅れようものなら、「掃除当番、誰!」と絶叫しながら、1軒1軒聞いて回る方がおられたのだ。掃除をしに誰がやってくるか、遠くから見張っていたりもする。

ゴミ当番は、いつ回ってくるか予想が立てづらいので、特に生ゴミが出される曜日は、なるべく朝早くからの外出仕事を入れないようにしていた。
めんどくさいこと、この上ない。

回覧板だって、弔報等「至急」扱いのものは、すぐに次の人に回さないといけない。外出していたりしてうっかり止めてしまうと、葬儀が終わってから回覧することになる。
そうなると、後で何を言われるかわからない。

居住歴約40年の私、地域の事情や町内の暗黙の了解事項も、ある程度把握している。それに、40過ぎの私をつかまえて、未だに「ちゃん」付けで呼ばれるくらい、古参住人には顔も知られている。
だから、こういうことに手を抜くことができない。

で、漠然と思うようになったのだ。

一戸建ての家は、家族が住むべきだ。ひとり暮らしには不向きだと。

自治会活動や先に書いたゴミ当番等、戸建てで生活する上でのコミュニティ活動は、「家に必ず誰かがいる」という前提で回っているように思えたのだ。
ひとり暮らしには、明らかにそぐわない前提だ。

そして何よりもしんどかったのは、ここに住み続ける限り、母と比較され続けるということだった。

母は非常に神経質な人で、周りの目を気にする人だった。フルタイムで働いていたが、ご近所の動向には常にアンテナを立て、万事抜かりがなかった。
頂き物をしたり、何かお世話になると、必ず物品でお返しするような人だった。面倒見もよく、母を慕っていた人も多かった。

だから、古参住人の方々は、何かにつけて母をほめて下さる。
それは娘としてはとてもうれしいけれど、一個人としてはちょっとつらかった。
なぜなら、私は亡き母に投影させる形でしか見てもらえない、言い換えれば、私自身を認めてはもらえないから。
たぶん、今後も永久に。

古参住人の方々は、私に「私は母のようであらねばならない」と押しつけていた。無意識で悪気もないというのが、私にとっては救いようがない。
私は、母のようには生きられないのに。私は私なのに。

ところで、先に書いた女社長さんだが、専業主婦生活を満喫しておられた時代があった。
彼女のご主人は、建設関連会社の社長さん。お子さんと共に、比較的羽振りの良い生活をエンジョイされていたようだ。

ご夫婦ともテニスが大好きで、2人でいろいろな大会に参加していたとのことで、「地元では敵なし。結構強かったんやで」と自慢しておられた。

このご夫婦、離婚直前にはマンションにお住まいだったのだが、その前は戸建てに住んでおられたそうだ。
戸建てからマンションに転居した大きな原因は、彼女曰く「近所の目」

テニスの大会に出場しまくっているので当然なのだが、彼女の家で干されている洗濯物の中には、必ずテニスウェアが混ざっている。それを見たご近所の方は、ひそひそと噂話に興じる

「あの家は、遊んでばっかりやわ。仕事、何したはるんやろ?」
「遊んでばっかりで、どないして生活したはるんやろ?」


聞きたくもない噂話が、巡り巡って伝わってくる。

「何しようと、かまへんやん。悪いことしてるわけや、あるまいし。『ほっといて!』って言いたかったわ。マンションに移ってからは、そういう煩わしさがなくなって、すごく楽になったわ」

母が亡くなってから、ご近所づきあいに軽いストレスを感じ続けていた私。この話を聞いて気付いた。

そうか、あの家を離れるということは、いつでもどこでも「生の私」で勝負できるということなんだ。

「マンション」かどうかは別として、住み替えへの興味は更に高まっていった。


JUGEMテーマ:日記・一般

前回、私はマンションに住んだことがないと書いたが、厳密に言えば違う。両親が建てた家の建て替え時、3ヵ月だけ近所のマンションに住んだことがあるのだ。
母が物をため込む人だったので、我が家の物の多さは尋常ではなかった。移動時にかなり処分したが、それでも整理しきれない物がごろごろあった。それらは全く開梱されず、3ヶ月間マンションの6畳間を占拠していた。

築30年以上で、やや古さを感じるマンションだった。でも、駅から歩いて3分の立地条件がうれしかった。何たって、窓を開けたら駅のホームが見えるんだもの。居住期間中に、終電出発後にホームの電気が消える瞬間も目撃できた。
畳の大きさは京間仕様で、間取りは3LDKだったから、ものすごく広かった。それにベランダも広い。建築当初はきっと高級マンションだったんだろうなと思わせる造作も見られた。

困ったのは、コンセントの数が非常に少なかったこと。
電気製品が溢れている今の住環境とは、明らかにそぐわない。おかげで部屋は、たこ足配線だらけ。
電話のローゼットも台所の隅に一箇所しかないので、パソコン通信(当時はインターネットよりニフティのパソコン通信、それも電話回線での接続が主流だった)をするときには、長いコードが部屋を横切ることになる。
退去寸前には、呼び鈴も壊れて往生した。

何よりも、上の階に住んでいる兄弟喧嘩の様子が手に取るようにわかるくらい、防音についてはお粗末だった。6階だったが、窓を閉めていても貨物列車が通過すると結構な音が部屋に響く。

マンションってこんなものなのかなって、ずいぶん長いこと思っていた。
その考えが一変したのは、とあるお客様の仕事を始めてからだ。

その方は、不動産管理会社を経営している女性(50代、バツイチで一人暮らし)で、従業員はいない。仕事場は、自宅マンション。閑静な住宅街にあり、駅までは徒歩10分強。地元では高級住宅地とされている場所だ。
不定期に呼び出され、パソコンで契約書やら何やらの書類を作成したりする。
最初に訪問した時、マンションエントランスで部屋番号を押して「ぴんぽ〜ん」するのが、むちゃくちゃうれしかった。

社長さんが非常にきれい好きなので掃除が行き届いており、内部はまるで新築かと思わせる美しさだった。仕事用書類も整然とファイリングされ、テーブルや椅子、壁の絵や部屋の小物等、インテリアのセンスも良い。

親しく話ができるようになってから、「この部屋、きれいですね〜」とつぶやくと、社長さんはいろいろとお話して下さった。

離婚後すぐに購入されたこのマンションは、町内近辺では一番高さのある建物である。「高いところが好き」な彼女、「マンションは最上階しか買わへん」というのが信条である。
後に、新たに14階建てのマンションの一室を自宅用に購入されたのだが、やはり最上階。
「上が好き」ということもあるが、最上階の物件はいざというとき「つぶしがきく(買い手がある)」という理由もありそうだ。

購入した当初の間取りは、和室+洋室2部屋+LDKの3LDKだったのだが、和室をつぶしてリビングと一続きにし、2LDKにリフォームされていた。
仕事用ファイルを収納する棚も、ホームセンターや通販で購入した安物ではなく、部屋のイメージにあった色をチョイスしたオーダーメイド。また、キッチンの戸棚の色を変えたり、キッチンと一体型の食洗機を設置したり、部屋と廊下全てに腰板を設置したりと、様々な工夫が凝らされていた。

それに、センスがよいと思うインテリアを、率先して取り入れるともおっしゃっていた。
「実際に使ってみいひんかったら、わからへんやん。お客さんにも勧められへんし。ま、自分の勉強のためやな」と。

でも私が一番びっくりしたのは、防音対策の充実ぶり。

社長さんはでっかいテレビをお持ちで、私が作業にいそしんでいる間、たまにテレビを見たりされる。そのボリュームの大きさたるや、「ちょっとは仕事中の私に気を遣ってほしい」と思わせるくらい、でかい音量である。

そのでかい音量のテレビのそばで、社長さんは電話もする。
彼女の声は、でかくて響く。興奮したりすると、ますます声がでかくなる。

一度、マンションのベランダに鳩が卵を産んだ現場に居合わせたことがある。「生き物は嫌い」と言う彼女、卵のそばから離れない鳩に「しっ、しっ」と叫んで追い払おうとしていたが、その声のまたでかいこと。
私が仮住まいしたマンションなら、間違いなく上下左右の住民から苦情が殺到しただろう。

でも今時のマンションって、窓さえきちんと閉めていれば、外に音が漏れないのだ。それに、外の音も全く聞こえない。
雨を知らせてくれるのは、雲の様子や窓の雨粒。雨の音は聞こえない。

それに、フローリングも戸建てとは違う。
戸建てのフローリングは、板張りそのものという感じである。だから、歩くだけで家全体に音が響く。
でも、マンションのフローリングは、ややクッションが入っている。だから、音が響かない。

社長さんのお住まいは最上階(6階)だったので、上の階の生活音がどのように聞こえるか、ということはわからなかったが、それでも今時のマンションの静けさと、防音への配慮の細かさには、恐れ入った。

ま、それだけ「音」についてのトラブルが、マンションでは多いということなのだろうけど。



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父が腸閉塞でダウンした1年後、2006年春。
マンション住まいだった同い年の友人が、戸建てを購入して引っ越した。それも、同時期に2人。
2人とも、ご主人と子供ふたりの4人家族。

ファミリーがマンションから戸建てへ引っ越した。
じゃぁ、独身で一人暮らしの私は? このままこの家に、この土地にへばりついていて大丈夫?

自分もいつか老人になる。何事も自己責任と言われるこの時代、今後どうしていけばいいだろう。
そんなことを真剣に考え始めたのは、40代に入ってからだ。

実家の老朽化に伴い、建て替えに踏み切ったのは、30代前半。土地を売却しようなどとは、当時思いつきもしなかった。土地も家も父名義だったし、両親が必死になってゲットした「夢の一戸建て」と土地を守りたい、その一心だった。
自分の老後のことなんか、考えてもいなかった。だから、土地の狭さという理由もあったけれど、3階建てにしたのだ。

だけど。

3階建ての階段が多い家に、果たしてこれから住み続けられるのか。年を取ると、生活の基盤は必ず1階になる。だが台所は2階。いけるのか、大丈夫か。

建て替えて既に8年。今後必ず発生する、経年劣化に伴う家のメンテナンスができるのか。

物騒な事件が発生する昨今、近所でも放火や泥棒等の話を聞くようになった。戸建て住宅を自力で守れるか。セキュリティはどうすべきなのか。

今はバイクで父の施設に通えているが、必ず運転できなくなる時が来る。父は、私より長生きするんじゃないかと思うくらい、今は元気だ。
だけどいざという時、すぐに父の元に駆けつけられるか。

じゃぁ、マンションならどうなんだろう。
できれば、今よりも父の施設まで近くて、交通至便で便利な所で。

資金計画は真っ白。値段の相場もわからない。マンションのことなんて、気に留めたこともなかった。
何よりも、私は集合住宅という所に住んだことがないから、マンションとはどういう所なのか、実情は何もわからない。

だけど、慣れ親しんだこの場所を、私の全てが詰まったこの場所を離れる日が、いつか必ず来る。どういう形になるかわからないけど、マンションに移住する日が来るんだろうな。
そんな思いが芽生え育っていった一番大きなきっかけが、2人の友人の戸建てへの移住だったと、今になって思う。

だけど、その1年後に本当にマンションに移住することになろうとは、その時は夢にも思わなかったけど。




40才を迎えて数ヶ月経った2005年1月中旬、父が突然ダウンした。

最初は風邪かと思われたので、お世話になっている施設からの詳細連絡は来なかったのだが、数日経っても嘔吐と下痢が止まらない。とにかく飲食物を受け付けず、口に入れた物をすぐ吐いてしまうので、かかりつけのお医者さんが何度か往診して下さり、出た結論が

「もしかしたら腸閉塞かも」。

何の前触れもなしに、突然救急車での病院搬送が決まった。
飲まず食わずの状態が、既に4〜5日続いていた。

「わし、もう、あかん」とつぶやく父と一緒に救急車に乗り込み、かかりつけのお医者さんが紹介してくださった病院に向かう。検査の結果は、やはり腸閉塞だった。
緊急入院、決定。

胃にたまった胃酸の排出と、持続点滴が開始。検査が繰り返され、飲まず食わずの日々は、全部で半月ほど続いた。
そして「わし、もう、あかん」と言っていた父が、見事に復活。重湯から普通食になるまで、あっという間だった。
人間って、飲まず食わずでも点滴だけで半月も生きられるんだと、本気で感心した。
父の入院生活は、約20日間だった。

元気に施設に戻り、再びかまびすしい日常生活を送る父を見て思ったのだ。
この人は、生きる。とことん、生きると。

私はそれまで、父の老後についてはかなり後ろ向きな考え方をしていた。
クモ膜下出血で倒れ、左半身が麻痺し、車椅子生活になって早や20年以上。元気は元気だけれど、少しずつ、ほんの少しずつ元気が薄くなってきている父。
麻痺して萎縮した左手を見つめて、「情けない手や」としょっちゅうつぶやいている父。

他人のことなど考えず、自分中心で生きてきた人だ。病気をしたのも、それまでの無茶な生活ゆえだ。自業自得と言ってしまえばそれまでだけど、きつい人生である。
いつまで父は生きるのだろう、生きなければならないのだろう。かわいそうだな。
ずっとそう思っていた。

だけど、口では何と言っていようと、父は生きたいのだ。生きて、生き抜きたいと無意識に思っているのだ。
それに、父は幼い頃から、死んでいてもおかしくないレベルの病気や怪我を繰り返している。なぜ生きているのかと、不思議がられたこともある。
父は様々な人に生かされている人でもあるのだ。

ならば、「父の人生はあと何年だろう」という、父の死を待つような後ろ向きで失礼な考えはやめようと思ったのだ。父と私の人生は、違うのだ。
「父は元気で長生きする」という前提で、私も生きていこうと。

今の施設での生活も長くなり、すっかり落ち着いた父。元気だし、認知症もない。施設での生活なので、見守ってくれている人たちもいる。
それなら今度は、私自身が今後どう生きていくかを考えることが必要なんじゃないかと。
そもそもはそれを見越して、父に施設暮らしをしてもらっているんじゃなかったのかと。
亡くなった母と同じように、すっとこどっこいな父だって私の幸せを望んでくれているんじゃないかと。

具体的に何をしなければならないのか、この時点では全然見えていなかった。
だけど父が腸閉塞にならなかったら、今私はマンションに住んではいなかっただろう。



今年の正月、「ちょっと思い切った決断をしました」と書きました。

それは、人生初めての、お引っ越し。
実家を売却し、マンションに移りました。

私は「引っ越し」というものを経験したことがありませんでした。
実家から通学し、実家から通勤していました。だから、住民票の異動や、住所変更手続をする必要もありませんでした。
そして父が病気で倒れ、母は亡くなり、実家でひとり暮らしする羽目になりました。

それこそ地縛霊のように、40年間ずっと同じ場所に住んでいました。

でも、40代になったころからですかね・・・。いろいろ考え始めました。
高齢者が周りにいる機会が、小さい頃からとても多かったせいか、「自分はいつ死ぬんだろう」と考えることが、よくありました。
それが、自分の中で具体化してきたんですね。

もっと年を重ねると、いずれは3階建ての戸建てには住めなくなる。
いつかは移動しないといけない。それはいつがいいんだろう。
どう考えても、うちの家族は私で最後。両親が残した全てを、一人っ子の私が締めくくらなければならない。
両親が私に託した「後は頼む」という無言のメッセージ。それは、どんなに重いか。なぜ私なのか。なぜ私は、両親の元に生まれたのか。それも、一人っ子として。

どんなきつい人生になったとしても、じたばたせず、潔く逝きたい。
両親のメッセージにも、私なりに全力で応えたい。
そのためには、どうしたらよいのだろう。
私の老後は、既にスタートしているのに。

今後、私はどう生きるべきか。
その思いから始まったのが、この引っ越しプロジェクトでした。

とにかく何もかもが、予想以上に早い展開でした。様々な偶然やら出会い、好条件が二重、三重と重なり続け、それこそ「あっ」という間の日々でした。

自分で決めたことなのに、早すぎる展開に自分の気持ちがついてゆかず、情緒不安定になってしまった時期もありました。
両親が購入した実家を売却するにあたっては、本当に、本当に悩みました。

引っ越ししてから、1ヵ月以上が経過しました。
自分の中で、「今の住まいが我が家である」というスイッチの切り替えが、やっとできつつあります。

プロジェクト展開期間は、ほんの半年ほどでしたが、いろいろなことがありました。
追々アップしていきますので、お読み下さいね。


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